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そんな高名な脳外科医が、なぜ自分を助手に指名するのか葉月には分からない。彼の助手につきたいという若手医師はいくらでもいるだろうに。
「総くん」
葉月はくいくいと手招きした。なんなんだと思って総が近づくと、葉月はこそっと耳打ちした。
「───っな!」
総は指先でくいっと眼鏡を上げ、にやにや笑う葉月を睨みつけた。
「僕はもう失礼します。すぐ戻らなければ巽さんに不自由をかけてしまうかもしれませんからね」
言葉遣いが回りくどい。いつも冷静な総が焦っている証拠だ。
「はいはい、じゃあ明後日の夜、うちで。約束だ」
「……さぁどうでしょう。僕にだって緊急の仕事だってないわけじゃありませんから」
「巽に電話しとこうか? 明後日の夜はなにがなんでも俺にくれって」
すると総はすっと視線を逸らせた。無表情なくせに肩を尖らせているのが葉月には微笑ましい。
「結構です!」
「朝まで」
「だから結構ですから!」
「結構ってことは、承諾したってことだな───巽に言っておこう」
すると今度こそ本気で怒ったのか、総は葉月の手からボストンバッグを奪い取った。
「なに悪質商法みたいなこと言ってんです! そんなこと巽さんに言ったら、二度と貴方と会いませんから」
「分かったよ───分かったから……バッグを返してくれないか」
自分が悪いくせに葉月はいつも悪びれない。
「もう次の手術の準備ですか?」
「ああ」
「……すいません、おふざけが過ぎました。どうぞ」
総がまたバッグを差し出すと、葉月はわざと総の手に触れた。手の甲を触られた総がぱっと手を離すと、バッグは床に落ちず、葉月は上手く持ち手を握っていた。
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