<1>その一歩

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 どうして僕はこんなことばかりしてるんだと思いながら、総はてきぱき部屋を掃除をした。自分の部屋ではない。もちろん佐伯巽の部屋でもない。あの、ヤクザよりよほど強面の、巽が親友だという男の部屋だ。  本物のヤクザである巽や総が二人でかかってもきっと簡単に押さえ込まれてしまうだろう日下葉月は、ただの外科医だった筈なのに、いつのまにか脳外科医になっていた。医者の世界のことはよく知らないけれど、外科医と脳外科医にはなにか差があるのだろうと総は思う。内科医と腫瘍内科医に差があるように。葉月は総に仕事のことを話さない。知り合ってから五年ほど経って、ようやく葉月が医者らしいと知ったぐらいだ。医者の俺だから友人になってくれたのかと聞かれ、総はいいえと否定するしかなかった。葉月は真っ直ぐで豪胆な性格で、なぜ巽がこんなタイプと親友なのか総には理解できなかった。なんせ巽は屈折していて、慎重で真面目な性格なのだ。とても気が合うとは思えない。巽の幼馴染みだという南雲檀や南方平和が親友なのは頷けるけれど、葉月だけは人種が違う。ヤクザかカタギかという分類で考えても人種が違うのはもちろんだ。  かれこれ十五年、本当の意味でならこの十年、総と葉月は巽を間に常に反目し合ってきた。総は養い親の佐伯巽を愛していたし、葉月は親友の佐伯巽を愛していた。もちろん二人とも最初は真っ当な愛情だった。総が抱いていたのは親への思慕という意味での愛だったし、葉月が持っていたのは価値観を根底から覆した友人への興味だった。それなのに、途中から、恋愛という意味での愛情まで加わった。恋愛しかないのではなく、加算されたのだ。そうなると話は簡単ではない。総も葉月も恋愛感情は全て押し隠し、巽にとって良き息子と良き友人であり続けた。それでも葉月はまだマシだ。巽への恋愛感情を自覚するまでは普通に女性と付き合っていた。問題は総だ。初めて好きになった人をつい最近までわき目もふらず思い続け、全く望みが無いと分かった時には二十六になっていた。初恋の相手への思いなんてたいてい長続きしない。なぜなら、幼稚園の先生や近所のお姉さんなんてすぐにどこかにいってしまうからだ。優しかったなという程度の甘い思い出だけを残し、転勤したり結婚したりする初恋の相手とは違って、巽はずっと総の目の前にいた。今だって傍にいる。
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