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派手に言い争いをして、思い通りに振る舞って、喧嘩して衝突して、癒されたらいい。
ずっと自分を抑えて生きてきた総にとって、ほんの少しでも相手の意に添わないことを言うのは大冒険だ。葉月が相手なら、本気で怒らせたとしても問題は無い。どうせすぐに許してくれる。葉月が豪胆に笑って終わりだ。
「風呂、きみも入ってきたら?」
いつのまにか、総の背後に葉月が立っていた。
「…結構です」
全く気配がなかったことに驚きながら総が言うと、濡れた髪を拭きながら葉月は意味ありげに笑った。
「身構えなくても無理なことしないのに」
「身構えたりしてません」
気配がなかったわけじゃなく、単に僕が気を抜いていただけなのだろうかと総は思う。
「寿司はもう頼んだ?」
「まだです」
「早く頼んで。特上がいい。俺もここんところろくなモン食ってない」
「……なんだか下品ですね、貴方」
「上品じゃねぇよ、元から。きみがやらせてくれないって言うから、食欲で紛らそうと思ってるのに」
「食欲なんかで誤魔化せる程度の欲求なら触らせませんから」
冷淡な声で総が言うと葉月は小さく笑った。
「いいさ、別に。出会って十五年も経つんだ。今更なにもないまま一年二年経ったところで大差ない。俺はやりたい盛りってわけでもないし、きみがまっさらなまま三十になるっていうならそれもいい。三十になっても童貞でバージンでキスもほとんどしたことがないなんて、きみみたいに綺麗な子だと天然記念物だからね。大事にするよ」
総は目を丸くして葉月を見た。
「貴方にどうぞなんて言った覚えはないんですが」
「そう? 俺はきみが俺にどうぞって言ったとばかり思っていたが」
「貴方みたいにぐいぐい押せる人が、どうして巽さんをものにできなかったんでしょうねぇ……あんな超受け身の人、簡単に落とせそうなのに」
「あいつは屈折してるからなぁ…」
「僕も屈折してますよ」
「ああ、屈折しまくりだ。いくら養い子っても、そんなところまで似なくていいのに。血が繋がってるならともかく───とにかく寿司」
自分が巽と似ているだなんて総は思ったこともなかった。十才の子供を引き取ってくれるような優しい人に似ているなんて、考えたこともなかった。
「寿司」
「……あ、ああ、寿司。ええ、すぐ電話します」
葉月に特上寿司を奢らせようと思ったのは自分だったくせに、寿司のことなんか総はすっかり忘れていた。
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