Nくん

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Nくん

さて私はというと、親も期待を掛けようがない成績でしたね。 運動だけはできたので、スポーツ推薦で近所の県立高校に進みました。 私だって両親にはウンザリ。 休みの日には、姉と上野や浅草をブラブラしていました。 姉は、祖父の影響で寄席に通い始めていましたから、この辺りに詳しいのです。 のんびりした時代で、焼鳥屋の店先で串をかじりながら話しておりますと、もうデキアガッタお客さんに「こっちで座って話せよ、オジサンおごってやっから!」などと言われて、夕飯前なのにお腹いっぱい…なんてことも良くありました。 「人前でハナシを聴かせる」という時代が始まっていたのかもしれません。 「オマエの母ちゃんデーべそっ!」 「オマエと母ちゃん一緒なんだよっ!」 姉のボケに、私がツッコミを入れる。お客さんが笑う。 自然とそれができてしまう時代でした。 ただ姉の口から「お笑いやろう」という言葉は出ませんでした。 私が歌手に憧れて、ギターを始めたのを知っていたからです。 推薦で入ったバレーボール部は、私の身長が伸びず、頭打ちになっていました。
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