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「ねえ、さくら」
「なんでしょう、先生」
「記憶ってどうしたら戻ってくるのかしら」
私の地肌を優しくもんでいた手がぴたりと止まった。
「……何か、思い出したいことでもあるのでしょうか」
「ええ。これを取り戻せたら私はもっと大きくなれると思うの」
彼女の手は私の頭の上にある。
彼女の時だけが止まったように静まり返った。
髪の毛に絡まった細かい泡がはじけるわずかな音すら頭の中で響いた。
「あなたは知っているのでしょう」
彼女の表情を見るために振り向こうとわずかに身動ぎをすると、思い出したように手を自らの膝に下した。
その手を見つめたままの彼女の視界に入るようにして、また呼びかけた。
「あなたを責めてなどいないわ」
きついと言われる声色を極めて優しくして呼びかけると、彼女はか細い声で、はい、と返事をし、拳を握った。
「あなたはずっと私に尽くしてくれているわ。あなたのおかげで私は好きな仕事ができていることに感謝している。
でもね、今みたいに髪の毛を洗ったり、仕事でないのに病院まで送ってくれたり、プライベートで私を先生と呼んだり、そんなことはしなくていいのよ。
今まで甘えてきた私が悪いのだけれど、しなくていいのよ」
「先生は、悪くないです」
「ありがとう。それは嬉しいのよ。とても嬉しいけれど不公平なのが嫌なの。
私はいつもあなたにもらってばかりなのに、唯一あげることのできるお金ですら仕事の分しか受け取ってくれない。
私は一体どうしたらいいの。
あなたは一体、何を望んでいるの……」
悪くない。彼女は何も悪くないのに私の瞳からは彼女を責めるような雫しか出てこなかった。
「……あなたが私に優しくしてくれるのは、罪悪感から?」
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