始まりの日

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「何、緊張してんの?」  ワイシャツ越しに唇を動かすと、真宏がぴくりと動いた。 「するに決まってんだろ。紺野に触れんの初めてだし」 「……お前、童貞?」 「は? ちげーよ!」  違うんだ。まあ、モテるしな。 「紺野は?」 「童貞」  処女じゃないけど、という言葉は飲み込む。 「うわ、マジで!? どうしよ、ごめん、嬉しい!」 「そりゃよかったね。いい加減離してくれる?」 「悪い!」  真宏がぱっと抱き締めていた腕を離したとき、予鈴が鳴った。 「じゃあな」  別れを告げると、真宏がまた紺野の腕をとった。 「……今度は何?」 「バイトのことはわかった。でも終わる時間教えて。迎えに行くから。そんで、夏休みは泊まらせて?」 「どっちも嫌。外であんたと歩きたくない。泊まりに来るのは俺家にいないから駄目。そこまで信用してないよ」  ぴしゃりと言って、先に教室を出て扉を閉めた。  ◇  薄っすらと明るくなりはじめた空を見上げながら、紺野はバイトを終えて家へと急ぐ。夏休みに入ったから、昼間は別のバイトをしていた。さすがに眠い。  しかし家に着くと、アパートのドアの前に真宏が座り込んでいて、眠気は一気に冷めた。かわりに疲労感が襲う。 「……何してんの?」  思わず溜息が出る。 「待ってた」 「馬鹿? 今日バイトって言ったじゃん。今4時だよ?」  終電の時間を考えると……まさか3時間くらい待ってたのか? 「何の用だよ。来るならメールしてファミレスにでも入ってればよかったじゃん」 「それじゃ駄目。家の前にいないと」 「なんでだよ」  そう言うと、真宏は立ちあがった。  背、やっぱ高いなと紺野は改めて思う。 「おかえり」  へらりと笑って、真宏は言った。 「おかえり、紺野」  心がざわつく。嬉しいんじゃない。  嬉しくなんか、ない。  帰って誰もいないことなんか、もう何年も繰り返してきたことだ。寂しいことなんかじゃない。寂しいなんて思ったら、生きていけない。 「やめろよ……もう、いいだろ……」 「紺野?」  紺野の世界を壊す。今まで平気だったものを平気じゃなくさせる存在。からかっているなら、もうやめてほしい。たとえ本気でも、どうせすぐいなくなるんだから踏み込んでこないでほしい。
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