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「……うん。名前ね。私はデルフィナ。」
そう答える彼女の声は元気で明るかった。しかし、それに反して涙が頬を伝い食器に盛り付けてあるパンに落ちて染み込む。カールに水の入ったコップを渡すと、勢いよく彼は水を飲んだ。それだけで、デルフィナにとっては嬉しいと感じさせる。
「はい。パン。お口を開けて」
「うん。ありがとう」そう言った後にちぎったパンを口に彼女が入れると、カールは美味しそうに食べた。
「このパン、塩っけが効いてて美味しいよ。デルフィナは食べないの?」
「私は、もう食べたから。大丈夫! ほら、あーんして」
そうやってカールにパンを食べさせながら、彼女は泣いていた。その涙は何度でもパンにしみて塩っけのあるパンになる。食べさせながらデルフィナは彼との約束について思い出していた。一生を誓った約束。愛し合うこと。例え彼の記憶が無くなっても、もう一度、お互いが愛し合えればいいじゃない。彼女は前向きにそう考えることにした。
その決意にも似た考えからどれくらいの月日が経ったのだろう。彼女の住む集落には30人程の人がいた。荒れ果てた文明の後でも、人は逞しく生きれるのだと誇示するように。
カールの視力は戻ることがなかった。杖を使いながら日々彼女に世話をしてもらうようになっていた。
デルフィナもそれを良しとしていた。思い出せないなら、新しい記憶で埋めればいい。ただそれだけのことなんだ。
そんなある日、カールが真剣な表情でデルフィナに向かって話しかけた。あれは、草原の中にポツリとある木の下で休んでいる時だった。暖かな風が心地いいのを今でも覚えている。
「記憶がないから、本当は誰だか解らない。君の顔も見られない俺で本当にごめん。それなのに、いつも色々してくれて有難う」
カールがそう言うと、デルフィナは彼を抱きしめることしかできなかった。そして、振り絞りながら彼に言った。
「良いの。愛しのカール。私はね貴方の為にいるのよ。だからお礼なんていらないし、ましてや謝罪もいらない。私はただ、貴方がおじいちゃんになって、亡くなるまで貴方の世話をして、貴方を愛していたいの。ただそれだけなの」
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