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フミノさんは不敵にニッと笑った。
「セクハラに認定されるのに充分なレベルだと思う。この人と今後顔合わせないで済みそうよ。よかったね、アキちゃん」
「ちっ」
男は舌打ちして、ふっと去った。俺はフミノさんに向き直る。
「あのまま行かせてよかったんですか」
「大丈夫。こうしてる間にもう記録、上に送っちゃったから。処分されるって言ってもまぁ、二度と顔を合わせない場所に配置されるくらいのことだけどね。セクハラやいじめ的言動は結構敏感に反応するよ。仕事に支障が出るようなことを上は嫌うから…。そもそもひとりひとりがバラバラで、濃厚な人間関係もなく仕事できる筈の職場でしょ。なのにそういうことを敢えてする奴は、要らない波風を立てたとして嫌われるの」
「フミノさん」
俺の胸に顔を押し当てたまま、アキが小さな声を出した。
「…ありがとうございます」
「いいって。当たり前のことよ。あたしだってあんな奴と一緒に仕事したくない」
彼女はきっぱりと言った。なかなか見かけによらず、辛辣な人だ。
「チサトさん、今日はもういいよ。アキちゃん連れて帰ってあげて」
「わたし、もう大丈夫です。最後までやれますよ」
俺の胸から離れようとするアキを引き留めるように腕に力を込め、俺はフミノさんに尋ねた。
「抜けて大丈夫ですか?」
「だって、もうほぼ終わってるし。後片付けも殆どなさそうだから、このあと一旦詰所に帰るくらいかな。それは別にいいでしょ。しばらく二人とも休んで、落ち着いた時点で詰所に顔出して」
「すみません。助かります」
しっかりと抱きしめたアキを離さない俺を見て、フミノさんは微笑んだ。
「気にしない。今日は大変だったね、二人とも。…お疲れ様」
美術館の部屋に帰りつくまで、俺は彼女を片時も離さなかった。回廊展示室に入るなりアキは気が抜けたように肩を落とし、大きく息をついた。俺は肩に手を回したまま彼女の顔を覗き込む。
「大丈夫?アキ」
「平気です。…ごめんなさい、チサトさん。心配かけて」
いや平気なわけないじゃん。俺はアキの両肩に手をかけて、顔をこっちに向かせる。
「何でそうやって無理するんだよ。…泣いてたじゃん」
気を遣ったり、無理に笑ってほしくなんかない。つらい時はつらいって言ってもらいたかった。でなければ、俺が側にいる意味なんて一個もないじゃないか。
アキは目を伏せて、頭を静かに横に振った。
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