ふたつめのボタン

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そう言ったかと思うと、先輩は僕の手をぐいと引っ張った。 踏みとどまれなかった僕は、そのまますっぽりと先輩の腕の中にはまってしまう。 「え、あの、これって」 見上げると、先輩の真剣な目が僕を見つめていた。 射場で的を見る時と同じ、怖いくらいの眼差し。 午後の日差しを浴びて、眼鏡がきらりと光った。 目が離せないで固まっていたら、先輩の顔が徐々に近づいてきた。 ゆっくりと、でも確実に。 僕は夢中で目を閉じた。 柔らかくて暖かいものが、僕の唇に押し当てられた。 でもそれは一瞬で、すぐに離れていく。 嘘だろう、こんなの夢に違いない。 軽くパニックになってる僕の頭を、先輩がポンポンと軽く叩く。 「な、これから暇? デートしようぜ」 「デート?」 「そ!」 僕を抱きしめたまま、先輩は笑って言った。 「映画行く? 買い物がいいか? それともどこか、行きたいとこある?」 僕は夢中で、黙ってぶんぶん首を縦に振った。 口を開けば、何か意味不明なことを叫びだしてしまいそうで。 「それじゃわかんない。どこ行きたいか、自分の口で言ってみ?」 促されても、僕は何も言えずに頷くことしかできない。 先輩は困ったような顔をして、眼鏡を指で押し上げる。 それからまた、ゆっくりと顔が近づいてくる。 僕も目を閉じる。 夢みたいだ、夢みたいだ。 しっとりとした感触が僕の唇に触れる。 頭の中がスパークする。 自分の口でって言われても、こんなことされたら何も言えないよ先輩。 手には貰ったばかりのボタンがひとつ。 ポケットにも、もうひとつのボタン。 今日、僕の宝物がまた増えた――。
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