一章

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『私の事、何も分かってない癖に偉そうな事言わないでよ』 頭に血が上って、母親に浴びせた言葉はそんなもので。 ありきたりな文句だったが、効果は絶大だった。 その言葉を発した後も興奮は冷め遣らず、母親からどんな反論が来ようと負けるつもりは無かった。 しかし、母親は何も言わなかった。何も言い返して来なかった。 ただ、眼を向けてきた。 向けてきた母親のその眼は、どんな言葉よりも雄弁に意思を語っており。 その眼が恐ろしかった。 その眼に震えた。 これまで母親から向けられてきた、どんな感情とも異なる視線が突き刺さった。 瞳の色に込められたのは『失望』という、言葉にすれば2文字の簡潔なものだったが。 それが何よりも恐ろしかったのだ。              *    *    *  初夏。 6月の半ば、日曜日。所によっては梅雨もまだ開けていない季節。太陽と共に、気温も上昇の一途を辿っていた。 水崎(みずさき) 仙華(せんか)はその日、通っている学校近くの運動公園を訪れていた。電車と自転車を乗り継いで、家から数十分のコースである。 「暑い…………やっぱり図書館にすれば良かった」 前日よりもかなり気温が上昇し、春の陽気に慣らされた身体にはうんざりするほど暑くなっていた。一週間前と比較すると、気温は全国的に5℃以上も上昇しており、夏の始まりを嫌でも実感させられた。運動公園を訪れたのは失敗だったかな、と仙華は少し後悔したが、今から市立図書館へ行く気力も無いし、家へ戻るなど有り得ない。どうせ帰っても誰も居ない。 仙華は地元の中高一貫の女子中等部に通う2年生。先月に誕生日を向かえ、14歳になっていた。引き締まった眉と気だるげな瞳の対比が妙に印象的だ。顔立ちはそれなりに整っており、総じて美人と言えた。少なくとも、あと数年も経過すれば、その評価はどんな年齢層の人間からも、揺ぎ無いものになる事だろう。 仙華はお世辞にも真面目な生徒とは言えなかった。それは髪の色を見れば、良く分かる。元々は黒だった髪の色は、今や茶色になっていた。髪の長さもそれなりに有るので、かなり目立つ。
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