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軽トラに乗り込み、父さんがエンジンをかける。
馨瑠さんは見送りに来ると言っていたけれど、結局来なかった。
あの日は酔っ払っていたから、覚えていないかも知れない。
最後の挨拶ができないのは少し寂しいけれど、もう時間がない。
僕は母さんに手を振り、名残惜しい気持ちをぐっと抑えた。
「颯太、颯太!」
ゆっくりと走り出した矢先、母さんの呼ぶ声がした。
父さんがブレーキを踏み、僕は窓を開けた。
母さんは道の先を指差している。
そこには必死に走る馨瑠さんの姿があった。
「……良かった、間に合った」
馨瑠さんはぜいぜいと息を切らせている。
「これ、餞別。気に入ってくれるといいんだが」
そう言って手のひらサイズの小さい小包を僕に握らせた。
「わざわざありがとう。お店は大丈夫?」
「ああ、千草が店番をしてくれている。伝言を頼まれたよ『元気でな!』だって」
千草さんの口調を真似して馨瑠さんは言った。
「千草さんらしいね」
その姿を想像し、自然と笑みが漏れる。
「こっちに帰ってきたら店に寄ってくれ。私も千草も待ってるから」
「うん」
「約束だぞ」
急に真面目な顔をされたので、僕はコクリと頷いた。
「颯太、そろそろ行こうか」
父さんが遠慮がちに言う。
「うん。じゃあ、またね」
僕等は手を振り合って別れた。
窓の外には見慣れた四葉市の風景が広がっている。
今日から僕はこの土地を出て生きていくんだ。
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