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人口も多い住宅街だが、あの夜は雨が降ったり止んだりしていたせいか人通りが少なく、更に街灯の陰になる部分にわたしが転がり落ちる――実は引きずり込まれた――ので発見が遅れたそうだ。
それでも曜日が変わる前には見つけられ、連絡されて救助される。
助命通報してくれた人が誰かはわからない。
おそらく面倒だったのだろうが、消防署に電話をし、わたしの位置情報を与えてすぐ現場から去る。
その通話は今時珍しい電話ボックスからだったと特定されている。
だが、その一点を持って通報者が携帯電話を所有していないかと問われれば、わからないとしか答えようがない。
もしかしたら年寄りなのかもしれないが、最近では子供同様、GPS付き携帯電話を家族が持たせる場合が多いと聞いている。
だから老人ではとすれば頑固な携帯電話嫌いかもしれず、またわたしのように友だちがいないので不必要と思っている人間か、あるいは単なる貧乏人か、はたまた唸るような金持ちか。
どちらにしてもその通報者がいなければ、今頃わたしは天国か地獄に召されていたはずで、そう考えるとありがたい。
けれどもわたしがその考えを口にすると、そのとき会話をしていた壮年の医師は、
「いや、翌日通勤者が発見してもおそらく助かりましたよ」
と笑いながら規定事実のように語る。
しかし事件後一時間せずに止まった出血が。もし止まらなければ失血死必至ではないのか。
「不思議なことに助かる人は必ず助かるものなんです。だから、その点では安心してメスを握れましたよ」
と更に笑顔で付け足す医師だが、確かにその時点で命に別状がないことは確定していただろう。
だからその後の手術でわたしが死んだら、それは外科医の腕が悪いせいだ。
もちろん現実にはそのような事態は発生せず、よって医師も気楽に手術ができたのだろう。
その結果として、
「傷跡は殆ど残りませんよ。だから気にしないことです」
と壮年医師の脳天気発言が続く。
もっともそれはその医師なりのわたしに対する気遣いだろうが。
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