黄色い線の内側

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首都に血管のように張り巡らされた電車交通網。 ずしりと重い人間たちが、乗せられ下ろされる、駅のホーム。 決して珍しいとは言えない中年のサラリーマン「マツオ」は、 電車に飛び込んだ。 出勤途中だった。 ハッとしたマツオは、自宅のベッドで目覚めた。 心臓がドクドクと血を巡らせているが、痛みはない。 夢だったのか、そうするのが自然であるかのように電車に飛び込んでしまう夢。 ろくなものではないが、実際にマツオは限界だった。 いつものように独りで目覚め、いつものように顔を洗い、 いつものように新聞を流し見、いつものように服を着替え、 会社に向かった。 月曜の朝は特に憂鬱だ。マツオは、全てが終わったような気分だった。 もちろん毎週同じ気分になる。 休日はそうではないかというと、そんなことはない。 休日も、何も始まらない感じのまま終わるのだった。 月曜の朝、駅のホームはいつもにも増して混雑している。 しきりに流れるアナウンスによれば、少し前に隣の駅で人身事故があり、 遅延運休でひどい混雑であるという。 仕事に行きたいわけではない、でも行かないわけにはいかない。 理由はとくにない。 マツオは半ば無意識に、破裂しそうなほど人が押し込まれた電車で出社した。 出社しても何も起こらない何も始まらない。 いつものことだった。 昼食の時間になってもマツオを誘う人間はおらず、 近所の安いチェーン店で独りで済ませるのだった。 独りで飯を食うときは他人の話に耳を傾けるようにしている。 マツオ自身はとくにやることがないからだ。 この日は2つほどの話題があった。 どうやら競馬で驚くような配当が出たらしい、という話と、 朝の事故は学生の女の子が男に突き落とされて亡くなった、という話。 午後になっても、退屈でもなく楽しくもない空間はいつものように存在していた。 太陽が沈む頃、退社する、これもいつものことだった。 帰りの駅のホームで、マツオの何もない一日はいつものように終わろうとしていた。 駅のホームは不思議な空間だ。 ほんの一歩の立ち位置が生と死を分ける、黄色いラインは生死の境。 マツオは、電車に飛び込んだ。
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