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「なあ、このダミー人形の都市伝説を知っているか?」
同僚である訓練生の声が聞こえた。
「十年以上前、河で身元不明の少女溺死体が上がったらしい。
身元を特定するため、検死官がその顔の石膏型を作った。
そのデスマスクの顔を気に入ったあるメーカーの職人が、彼女の顔を心肺蘇生法に使われるダミー人形にしたんだって」
それを聞いた時には、人形の唇に触れる寸前だった。
その途端、人形の手がぼくを抱きしめた。ぼくに抱きついたまま、なだれるようにプールに飛びこんだ。
「なッ」
水を飲みながら必死で顔を上げると、そこはプールではなく河だった。
数年前に撤去されたはずの取水塔が、飛沫がかかるぼくの眼に映った。あの心中した日の河だ。
「そんな馬鹿なッ!?」
死にもの狂いで、手を泳がせた。それを強く握る手があった。カノジョの手だ。
「離れない、ずっと一緒だよ」
長い睫毛の眼を閉じて、やさしくカノジョが囁いた。
河底に足が着くはずなのに、足掻いても届かなかった。
ガボッと頭が沈んだ。水面から差しこむ陽の光が、きらやかに輝いていた。そこは海のように深かった。
カノジョが口づけをした。その唇の隙間から、温かな空気が流れた。
でも、ぼくは怖くなって、カノジョを思いっきり突き放した。その途端に、冷たい水が肺に流れこんだ。
カノジョが悲しい顔で見ていた。
ぼくは昏く深い水底に沈んでいく。
残りの息で最期の言葉を口にしたが、それは泡となって弾けて消えた。
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