scene5「虚数頁の枕詞」

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 僕は起き上がり、ソファに座り直して湯飲みを掴む。  中身は冷たい麦茶なのだろう。陶磁器の器越しに伝わってきた冷気が、手のひらに心地よかった。 「サンキュー、近江(おうみ)さん。丁度喉が渇いてたんだ」  軽く礼を言って、口をつけた。  下から喉へ。流れてゆく滑らかな液体が身体中に染みる。  その間、僕を見つめながら満足げに目尻を下げた彼女ーー近江さんは、ここの司書だ。  この図書館は設備のわりに利用する者が少ないらしく、彼女の他には僅かなスタッフしかいない。  休館日である日曜日を除く週六日勤務。  それが労働基準法的にはどうなのかは知らないが、少なくとも彼女は嬉々として働いているように見えるから、僕が口を挟むことではないのだろう。  ならばここで持ち出すべきは、やはり雑談か。
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