林檎幸福論

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はいどうぞ、と差し出したマグカップを、さも国宝級の焼き物を手にしているのだというような顔つきで取り上げて、女の子はずるずるとゆず茶を飲む。 「美味しい?」 「……確かにあまり、味は」 「でしょう?」 「でも色は好き。温かい色をしている」 ちゃぽん、とわたしの手の中のマグカップで、存在を主張するかのようにコーヒーが揺れた。あまり可愛らしいものが好みではないから、マグカップは質素に感じられるような白いものしかない。 茶色の角砂糖をふたつコーヒーの中に入れる。 「……ねえ、名前は?」 わたしの声に、くるりとした焦げ茶が反応する。少しの沈黙。おそらくこの、味も素っ気もない通勤用のスーツを着た、わたしに名前を教えてもいいのかを考えてるのだ。寒い中手を引いて、美味しくない温かい色の温かい飲み物を与えたわたしに、名前を教えてもいいのか。 教えてもくれる、けど。 「……かんなぎ、はろ」 「葉露ちゃん」 くるりとしたひとみがこちらをじぃと見る。そうか名乗られたら名乗らなきゃいけないんだ。母にそう教わった。 「わたしは……ええと、みらい」 「みらい……さん」
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