代償

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 あの時を思い返すと、いつもピアノの音が聞こえてくる。曲はショパンの前奏曲15番―雨だれ。  雨の日、母がピアノを弾くその隣の部屋で、当時小学生だった自分はサッカ―雑誌をめくっていた。 「?」  不意にピアノの音が止むと、「ガタン」と何かが倒れたような音が飛び込んでくる。驚いて、足早に隣室へと向かった。 ―今思うと、それが悪夢の始まりだった  隣の部屋に駆け込んだ自分の目に映ったのは末の妹、と、泣きながらその首を絞めている母の姿だった。   「母さん…?」    カラカラに乾いた喉からその言葉が零れ落ちる。 「-っ!」  必死に手を宙にさまよわせる妹の声にならない声で我に返ると、全力で父の元へと走った。 *** 「…っと」    目を覚ますと、そこはまだ薄暗い飛行機の中だった。  …夢、か  先程見た『夢』という名の記憶を反芻し、森(しん)はきつく目を瞑る。  あの後、父が止めに入ったため、妹は大事には至らなかった。無論、命はという意味だ。  『なんでアンタが泣くの?一番辛いのは、日生(ひなせ)でしょ』  目頭を押さえようとすると、不意に自分の片割れの言葉が脳裏に蘇る。  双子の姉は、あの件以来 心を閉ざし、人形のようになってしまった妹を見て泣く俺にそう言った。  事実、人形のようになった日生の笑顔を取り戻したのは、上の妹―日和(ひなぎ)だった。  それでも、雨の日には部屋の隅で蹲って泣く日生に対して俺は言ったんだ。 『それでもお前が自分を責めるなら、俺はお前を見殺しにできなかった罪を背負ってやる』と。  そこまで追憶に浸ると、先程空港で別れた日生の顔を思い出す。  『森兄ぃ、ありがとね』  大切だったはずの少年を、八年前と同じような形で亡くした彼女は、今度は笑顔を浮かべてそう言った。無理をしていることには気づいていたが、かける言葉は見つからなかった。 ―次に会った時、お前がどんな選択をしたとしても、俺には止める権利はない。  お前は好きに生きていい。この先、お前が泣くようなことがあれば、それは俺の 責任でもある  次に会った時は、アイツが無理して笑っていませんように  祈りにも似た願いを胸に、森は再び瞼を閉じた。
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