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「これは一体何の真似ですか?」私はそのノートをそっとカウンターの上に戻すと久葉野氏に訊いた
「これは困りましたな」久葉野氏は応える「あなたがここまでしっかりしているとは」
「先ほどの夢談義と言い、含みを持たせた言い方は止めてくれませんか」そう言った瞬間、自分で目眩がしたのが分かった
足元が揺らいでいる
立ち上がろうとしても、ままならない
これは酔ったせいじゃない
「まだ分かりませんか?」久葉野氏の声がくぐもって聞こえる
咄嗟に久葉野氏の席に目を遣ると、無人の椅子がゆらゆらと揺らいで見える。
焦点が合わない
私は瞬きを繰り返してみたが、その椅子に限らず辺りのもの全てが足下から沸き立つ陽炎にでも被われたかの様に朧ろ気に揺らいで見えた。
「そこは夢の中」久葉野氏の声がくぐもったまま響いて来る「あなたは私の夢の中に居るのです」
私は再度立ち上がろうとしたのだがどうしても足に力が入らない。
「今、あなたが話しているのは覚めている部分の私、そしてあなたは眠っている部分の私が造り上げたイメージの様なもの」
これは何の冗談だ、体も動かなければ声も出ないではないか!
「私もそろそろ眠くなって来ました。お別れの時が来た様ですが案ずる事なかれ。あなたは私の元に戻るだけなのですから、言うなればあなたは私なのですからね」
私は夢は夢でも悪夢の中でもがいている様な気分だった
「おや、そこまで考え込まないで下さい」久葉野氏の声だけが冷たく響く
目の前の世界が薄らいで行く。
私は塞がれて行く視界の中で必死に、私には今の私で居なければ無意味なのだ、今の私の記憶が無くなると言う事は消滅と同じだと叫んでいた。
「分かりました、お詫びに時をプレゼントしましょう、時など全て一瞬の事ですけどね、そう過ぎてしまえば全ては一夜の夢なのです、永遠の前ではあらゆる時は等し並みですからね」
「永遠…」私は久葉野氏のその言葉に力を振り絞って応えた「永遠など望みはしない」
次の瞬間、全身の力が抜けて行くのが分かった。
そして眩いばかりの煌めきが私を優しく包む
この降りそそぐ光は?
そっと目を開く
おお、なんて美しい…
そこは青く白く光り煌めく星々の海
私はその中へ飛び込んで行った
「なるほど、それは申し訳なかった」
直ぐ後ろで久葉野氏の声が聞こえて来る。
「あなたは今の私ではなく遠い昔に失なった私かも知れない」更に彼の声が続く「いずれにせよ、私は失礼する時が来た様だ」
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