不透明人間

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呼び止められて、振り返るとそこには誰も居なかった。確かに今、玄関を出るところで妹に呼び止められたはずだ。この俺が最愛の妹の声を聞き漏らすはずも、聞き違えるはずもない。 「お兄ちゃん、ご飯は食べていかないの?」 目の前の空間から可愛らしい声が聞こえる。しかし、そこに妹の姿はないのである。いったいどんな手品だ? 「妹?どこにいるんだ?」 「……何言ってんの?お兄ちゃん大丈夫?」 何やら冷たい物体が額に押し当てられた。この何とも愛おしい、女の子特有の柔らかさを帯びた感触は、まさに妹の手である。しかし、肝心の妹の姿はいまだ確認できずにいた。 「お前もしかして……目の前にいるのか?」 「……お兄ちゃん、今日は学校お休みしよ?」 何ということだ。常日頃から妹の事ばかりを考えていたのが祟ってか、本格的に頭がおかしくなってしまったようだ。妹のスウィートヴォイスの発信源と、女神のような労りから察するに、彼女は俺の目の前に居るらしい。 不思議な事に、不可視のマイラヴリーシスターが気配もなく目の前に存在しているのだ。 「……そうだな。なんだか調子が悪いみたいだ。病院に行くことにするよ」 妹に背を向けて歩き出し、門を開けた。もしもこれが病気であるならば、すぐに治してもらう必要がある。妹の姿が見えないというのはシスコンの俺にとって、死活問題と言っても過言ではない。早く病院に向かわねば。……シスコン治せって言われたらどうしよう。 「お兄ちゃん!危ない!」 一歩足を踏み出した矢先、また妹に呼び止められた。何が危ないのだろうと考える間もなく、前方でキキィーッという大きな音が鳴った。この音は、猛スピードで走るF1が第一コーナー手前で発するものにそっくりであった。急ブレーキをかける音そのものだ。道にできた新しいタイヤ痕が、車が急ブレーキをかけたという事実を物語っていた。 しかし、その痕跡を残した車の姿を、俺は確認できなかったのだ。
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