331人が本棚に入れています
本棚に追加
/270ページ
くだらない会話だ。でもそれによって、自分が普通の人間だと思いだせる。
奈々子の屈託ない笑顔でほっとできる自分を自覚しながらも、口では憎まれ口をたたいてしまうのだが。
「そういえばさ、あんたまた試合なん?」
「ああ、総体の地区予選があるから。」
そう返すと奈々子はにやっと笑った。
「見に行こうか?」
「結構です。下心丸見え。部長目当てか。」
「ばれた?」
奈々子め。こいつは私の部活の部長のこともお気に入りなのだ。
なんでも、陸上に汗を流す精悍な顔がいいのだそうで。
「でも頑張ってよ。あんた、昔はすごかったのにって他の子にいわれてるんやろ?悔しいやん!ここらでがちっといい記録だして、他の奴らを見返せ!」
「うん…。」
「なんや、気のない返事やなあ。やる気だしいや。」
やる気…。そう、やる気だ。それが自分にはないことを、私はよく自覚している。
本気で自分の力をぶつけることが、とても怖くなったのだ。
中学校のときから、私は陸上を始めた。
短距離とハードル、それにハイジャンプ――つまり走り高跳び。
一番嵌ったのはハイジャンプで、その時仲の良かった先輩の綺麗な背面跳びにあこがれた。何度も何度も跳び。どんどん記録は伸びていった。
自己新記録が伸びていく。
そうしてあの日はやってきた。
全国中学生陸上フィールド競技大会、その最終組。
あの瞬間は来た。
その日の私は、いわゆるハイ状態で。
踏込のタイミング、上体のひねり具合、全てが完璧にマッチしていて。
いける、と思った。
いつものようにステップを踏みバーに近づき、踏み込んで身体をひねる。
その途端、それは来た。
思っていよりずっと、高く自身が跳躍したのがわかった。いつもより、強く内臓が下に引っ張られる感覚。筋肉がきしむ。
最初のコメントを投稿しよう!