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「大丈夫!あなたの目があれば危険が及ぶ前に試験を強制的に終了できるでしょう。」
「…。」
余計なことを――。菖蒲様の目はそう物語っていたが、対する胡蝶様は笑みを崩さない。
菖蒲様の肩にポンと手を置いて、
「貴女、私に借りがあるはずですよね?」
少し低くした声で話しかける。だが菖蒲様も鋭い視線で胡蝶様を睨みつけた。
「借り?何のことだ。そんなものはない。ふざけたことばかり言って。」
「ふふふ。30年前に貴女の部下を助けてあげたでしょう?」
覚えているわよね?と可愛らしく小首を傾げるその様は、子どもの目にも恐ろしく映った。
「…。お前、それは違うだろ。私の部下はお前でなく…。「いいえ、私です。胡蝶が助けた。その事実は変えられないはず。確かに翔子ではないかもしれないけど、“胡蝶”が彼の命を助けた。ならば今の胡蝶である私に、貴女はその借りを返さねばならない。
私は私をそう定義したのです。」
胡蝶様の難しい言い回しは、当時の儂にはなんのことかさっぱりわからんかった。
ただ、その言葉に師匠が溜息をついて呆れた眼差しを、向けたのは分かった。
「詭弁だな。何故そこまで拘る。お主とこの童に何の関係があるんだ。」
「何も。初対面ですよ。でも可愛くって健気。ついつい味方したくなるでしょう?」
優しい笑みで僕を見つめる胡蝶様に儂は惚けた顔を向けることしかできなんだ。
「いいじゃないの。試験だけでも受ければ。ダメなら諦めもつきやすいでしょ。」
「…。これで貸し借りなしだ。それでいいな。それから、試験の合否は私が決めることだ。口出し無用。」
菖蒲様もついに折れたが、最後の最後にそう念を押した。胡蝶様もそれには大きく頷き、同意を示した。
「さあ、坊や。頑張りなさいな。ところで菖蒲様、彼の名前は聞いたのかしら?聞きたいわ。もし菖蒲様のところがダメでもうちで引き取りたいし。」
「いえ!結構です!僕は菖蒲様の元で学びたいんです。」
胡蝶様の言葉に反射的に反応してしまい、すぐにしまったと気がついて、顔を下に向けた。失礼な物言いだった。だがもう遅い。
ああ。さっきまで味方してくれていた胡蝶様だって気分を害したに違いない。どうしよう?
怖くて顔をあげられない。
だがどうしたことだろう。予想に反して頭上からはコロコロと笑う声が響いていた。
「貴女随分好かれているじゃないですか。私じゃ不満なようです。一途ねえ。男前なこと!
こんなに想いを寄せてくれるのに邪険にしてはいけませんよ。」
「ふん。興味ないわ。少年、それで名前は?」
「あ…。」
狂った母の顔と鉄扉面の父の顔が思い出され、名前を言った途端、追い返されるのではないかと一瞬頭をよぎったが、それ以上に告げた時の彼女の反応が見たいという想いが勝った。
「御剣…修二郎と申します。」
名前を告げた時、菖蒲様が少し目を見開いたように見えた。ただそれは一瞬のことで彼女はそうか、と言っただけでそれ以上の反応は返ってこなかった。顔を隠す布のせいで表情が読みづらい。
「いい名前ですねえ。誰がつけてくれたのかしら?」
「え?ああ。誰ですかね?知りまへん。」
菖蒲様は、胡蝶様と儂の会話を、態とらしく1つ咳をついて止めると、
「では修二郎。お前に、門下に入る資格があるかの試験を課す。内容を話すから着いてきなさい。」
それだけ言い放ってスタスタと歩き出す菖蒲様にホッとする気持ちと、肩透かしを喰らったような気持ちがない混ぜになる。
動けないでいる儂を、胡蝶様は立たせてくれ、
「よかったね。」
とだけ言って帰っていってしまった。
儂は慌てて菖蒲様の後を追いかけたのだった。
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