幕間 壱

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 その日の夜、雨が降った。あの女性の言わはった通りに。  儂は震えるからだがこれ以上濡れないようにと、うろの中に何とか身を隠して動けなんだ。  それでも唇は色を失い、体はがくがくと震えた。何とかせねばという思いだけで意識を保っとった。 「”機を逃すな”?」  あの人は何でそんなことを態々言ったのか。盆やりとする頭で考えたが答えは見つからなかった。何より七つの児に「機を逃す」なんて言い回しはわからんかった。  せやけどわかったんは、あの人はなんや助言をしてくれたいうことや。  この雨をどうにか避けろということなのか?  少しだけ顔を出して空を仰ぐ少し空いた口に水が入って喉を潤す。その時ようやく自分がひどく乾いていることに気が付いた。あまりの疲労で何も考えられなくなっとったんや。  そして思い出した。自分の水筒がカラであるという事実を。慌ててしまいこんだ水筒を取り出し雨を汲む。  なかなかうまく水が入らないことに焦るが、心配せずとも雨脚は強まり、水筒は徐々に重くなっていった。  しばらくぶりに泥水よりきれいな水を口にした気がする。実際は数日だが、子供にとっては長い時間やった。  一息吐けた。  その後、雨がひと時やんだ。少しあたりを歩くと、倒れた木々やへこんだ岩の上にいくつか水たまりができている。もう水筒はいっぱいになったが、この水をためておきたいと思い、あたりを見渡すと、太い木の枝が一本転がっていた。中を虫にくりぬかれている。そこに水を汲んで日陰にもっていった。  他にも何かないかと探す。雨のせいでどんぐりや松ぼっくりが落ちている。その中にある小さい松の実を取り出し口に含む。  うまくはないが食べれる。  苦くて食べにくいどんぐりは雨水につけて渋いをできるだけとるようにして食べた。  そうして空腹を紛らわせて五日目の夜を終えた。  夜が明けて、夜の冷気で冷めた体にわずかに熱が戻るころ、儂は一気に体の力が抜けた。  ああ、やっとこれで帰れる。  正直道は覚えていないのでただひたすら下に下にと下って行った。延暦寺の参道が見えてきたとき、儂はふと動きを止めた。  急に、あの男――菖蒲様の手のものによって無理やり退場させられたあの男に、入山前に言われた言葉を思い出したからや。 『ええよなあ。子どもやいうだけで日数少うしてもらえて。』 『ほんまや。俺らももうちょい遅う生まれとったら有利な条件で試験受けれたんに。』  他の人は2週間、山で過ごす。  儂はたったの5日間。  こんなんで、ええんか?  こんなお情けで、菖蒲様の門弟になってもきっと誰も認めてくれへん。
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