幕間 壱

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 無理にでも連れ帰るつもりやーー慌ててその腕を振り払う。 「待ってください。」 「何故?お主は課題を既にこなした。私が命じたのは5日の山籠り。もうお前は9日目の夜を迎えたぞ。」 「せやけど…他の人らは二週間おるんでしょう?なら、僕も。」  菖蒲様は、儂の言葉を遮るように、屈んで視線を儂に合わせた。 「主は、よくやった。よいか、確かに他のものは二週間の山籠りが条件だ。しかしお前ほど幼いものはおらん。結果を平等にすることが必ずしも本当の意味での公正な判断になるわけではない。十五、六のものとその半分ほどの歳にしかなっていない子どもに同じだけの課題を背負わせることはできない。もう降りなさい。確かに他のものより少ない日数が、お前は十分やり遂げた。」 「…。でも、菖蒲様が認めてくれはっても、他の人らがきっと怒ります…僕、それは嫌や!」 「確かに。しかしそれはこの試練に早々に離脱したものだろう。 努力を怠ったものほど、自分の望まぬ結果になった時、他のものを責めるからな。 だがそんなことは私にとっては些末なことよ。お主にもなんの関係もない。だから、もう下山なさい。」 「せやかて…。僕は頑張りたい。やから、もうちょっと待っとってください!」  この人に、心の底から認めて欲しい。お情けではなく。その思いが溢れて、みっともないくらいやった。  菖蒲様はじっと儂の目を見て、今度は後ろを振り返った。そこには前に山に来ていたあの女性が立っとった。 「菖蒲様。」 「なんだ…お前まで。私の命じたことは成し遂げたのか?《今度こそ》。」 「ええ、1名、回収しました。今頃は麓のものに保護されています。」 「ならばよい。下がれ。」  しかし、彼女は下がらない。能面の様な顔が月明かりに照らされて闇の中でぼんやりと光る。 「セツ。」  少し低い声音で菖蒲様が威圧する。  しかし彼女は引かなかった。 「菖蒲様。無礼を承知で進言いたします。この少年においては他のものと差違なきようされるがよろしいかと。」 「…何故だ?」 「貴女さまのお立場故に。私と同じ様に、妙な勘ぐりをするものが現れた時、彼が何より被害を蒙り、要らぬ(そね)みを買いましょうぞ。」  彼女の言葉に菖蒲様はゆっくりと振り返った。 「この試験開始前、私はこやつに関しては年齢を理由に試験期間を短くする旨皆に伝えた。異議があるならその場で申し伝えればよい。それを怠り後になって異論を唱えるは愚かというもの。」 「まったくもって。しかし、貴方様もよくご存知の様に、正しき人はこの世には少うございます。そして、正しい判断をどんな時でも取れるものはまた少ない。故に、貴女が正論を振りかざしてもそれに納得できぬものは出てきます。 そしてそういうものは、弱気ものを悪者にしてしまう。これは貴女が私に教えてくださった真理。」  しばし2人はじっと見つめあった。菖蒲様はふうっとため息を一つして 「お前が聡くて助かるよ。上がポンコツでも、根がしっかり張っていれば木は枯れぬものだからな。」 「お言葉が過ぎるとまたお咎めを頂戴しますよ。」 「構わん。奴は東京におるのだからな。」  儂には意味のわからん会話を暫しして菖蒲様は再び此方を向いた。 「修二郎。では他のものと同じ日数をこなせ。但し見張はつけるぞ。」  そう言ったと同時に儂の肩に僅かな重みが乗っかった。  見ると梟や。きっとさっき猪を追い払った。 「夜は其奴が、昼は別の見張りがつく。命の危機の回避も其奴らが行う。 残り日数、お前が大怪我を負ったり決まりを破れば失格とする。それでもいいのか。 今下山するなら合格として、門下に迎え入れることができるぞ。」  その言葉の意味は深くは考えていなかった。
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