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ただ、反射的に頷く。そんな儂に背を向けると菖蒲様は何かに向かって指先を向けた。
「あの木はコブシの木だ。」
「コブシ…?」
「もっと向こうには栗がある。」
首を傾げる儂を無視して言葉を続ける。
暫く周りの木について、一方的に話す。そしてこちらに向き直り、
「これくらいの助言は許されよう。」
最後の一言は恐らく儂ではなく、後ろの女性に向けられたものやった。それを察したのか、女性は、肩を竦めて
「よろしいのでは。」
なんのことかと戸惑う儂の頭を菖蒲様はポンと軽く叩いた。
「では5日後に下山せよ。行くぞ、セツ。」
そして2人は夜の闇に再び溶けていった。
梟が、ホウッと鳴き、月は再び雲の向こうに隠れた。その夜が明けて辺りを探ると近くに猪の死骸が転がっていた。誤って岩に頭をぶつけたのだ。
すでに蟲がわいたその巨大な死骸に儂はそっと手を合わせた。
菖蒲様の指差していた木がどれなのか、昼になるとわからなくなったが、なんとなくの方角を頼りに探す。
栗の木はすぐにわかった。イガがたくさん落ちていたからや。だが落ちているイガの中は既にほとんど空の状態やった。
他の木は実が残っているものがあった。赤い実。
それを何個か集めて持ち帰って食べた。
それから、物を他の人に盗られんように、周りに罠を仕掛けたり隠し方を巧妙にした。
飢えをなんとか凌ぎ、日数を重ねる。
夜も心細さが徐々に消えた。多分、菖蒲様がつけた見張りの梟の鳴き声のおかげやろう。
あれを聞くと不思議と安堵感に包まれて眠ることができた。そして最後の夜が明けて、儂は下山した。
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