幕間 壱

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 その日から儂は菖蒲様の道場に部屋を与えられた。と言っても他の弟子との相部屋やけど。儂は菖蒲様が師匠になってくれたのがともかく嬉しかった。  やけど、儂は他の弟子とは違った扱いを受けた。  まず、竹刀も木刀も握ることを禁じられた。これは他の新しい弟子も同じやったが、他と違うたんは、基礎的な訓練は上限を決められたことや。しかもかなり少ない量や。年齢を考慮に入れられたんやと今ならわかるが、その時は不満やった。  師匠は既に入門して時間の経っている弟子には稽古をつけていた。と言っても師匠にひたすら竹刀で攻撃するだけのものやったが。  儂は焦った。それで隠れて箒をしないに見立てて振っていたらそれを師匠に見咎められ、許可が下りるまで2度とやらぬことを誓わされた。  儂と同じように焦ったものがある時菖蒲様に苦言を呈した。  折角試験を突破したのに何故、稽古をつけてくれないのかと。菖蒲様は「学ぶ機会は与えている」と返した。  皆不満げな表情のままやったが、文句は言えへんかった。  セツさんに不平を零すと一言「菖蒲様のお力は言葉で学べるほど浅くはない。」と返された。そして「竹刀は握るなと言われたが、禁止されたこと以外は、好きにしていい。」と。  好きにしていいーー。その言葉の意味がわからず儂はひたすら菖蒲様の後ろにくっつくようになった。  そうすれば構ってもらえると思ったのか当時の自分の考えは忘れてしもうたが、師匠はそれを咎めなかった。  他の者も、竹刀を握ることこそ禁じられたが道場に入っても何も言われなんだ。  そんなある日、師匠に客が来た。見覚えのある姿ーー。あれは胡蝶様や。  2人は暫し菖蒲様の部屋で話をしたのちに揃って縁側から庭に降りてきた。  儂は丁度水汲みで庭を通ったところで、胡蝶様と目があった。 「あらあら、まあまあ。」  胡蝶様は元々柔和な顔をさらに優しく綻ばせ、儂に近づいてきた。 「胡蝶!」  菖蒲様が鋭く声をかけるが意に介さず、 「お話しするだけですよー。ついでにおうちまで送ってもらうわ。」 と、儂の持ってた桶を菖蒲様にごく自然に渡して儂の背を押して歩き出した。 「あ、あの。僕…。」 「気にすることないわ。あの方、こんなことで貴方を叱るほど、理不尽でも狭量でもないから。」  そういう問題ではないのだが、胡蝶様はぐいぐいと勢いで儂を攫って行った。  そして2人で胡蝶様の道場まで歩くことになった。 「菖蒲様の弟子に入ったのね。おめでとう。」 「あ、ありがとうございます。あの、あん時はーー。」  うまく言葉にできひんがなんとか礼を述べると胡蝶様はにっこりと微笑み 「いいえ。貴方が弟子になってくれて私も嬉しい。きっと菖蒲様も同じ気持ちだと思いますよ。」 「そうやろうか…。」  思わず歩みが遅くなる。胡蝶様は首を傾げて 「どうかした?」 「師匠は、僕に剣を握らせてくれまへん。僕がまだ子供やからやろうかーー。」  儂の言葉に胡蝶様はすこし驚いたようだがすぐにコロコロと笑い出した。 「貴方、本当に賢いのねえ。驚いた。あの試験をこなすだけはある。 ねえ、菖蒲様はね、私に無知の知という言葉を教えてくださったの。人は自分の愚かさーーつまり自分がバカだとか子どもだとかってわからないんだって。それを自覚できるのは貴方がすごいっていう証であるから。」 「はあ…。」 「ふふ。難しいよね。 菖蒲様に体術を教えていただいた身として一つ助言を。あの方の力はね、見ることなの。見極める力こそあの方の本質。わかる?」 「見る?あの方のことはずぅと見させてもろうとります。」  ずっと後をついているんや。当然や。 「そう、ならそれを極めなさい。」  胡蝶様のくださった助言はそれだけやった。儂が頭を悩ませているんを胡蝶様は楽しげに見つめていた。
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