第九幕

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 うちの高校の修学旅行は現地へのホームステイと、向こうの学校への短期留学で成り立っている。  僕らが行った翌月に向こうの学生がこちらに短期留学にくるので、交換留学という側面もある。  留学する先は毎年同じで、いわばこの学校の伝統行事。  それ故に下手なことをしでかせば後輩の旅行が中止になったりする可能性がある。  先生たちはこれでもかというほど、僕らに警戒の目を光らせているし、生活の場は向こうの家庭。  思っていた以上に自由がない。  あっという間に1週間が過ぎたが、僕はその間桔梗さんの動向が全く見えなかった。向こうはシドニーにいるようだからどうやったって会うことはないのだが、せめて爽矢さんや爺様に連絡して指示を仰ぐ機会が欲しかった。  次の1週間の間には移動となり桔梗さんが出るアデレードのコンサートを学校のみんなで鑑賞する機会がある。  でも席は後ろの方だし、桔梗さんの姿がどれくらい見えるかはわからない。  因みに今日はオーストラリアの歴史を英語で学ぶ授業がある。テーマは白豪主義だ。  白豪主義とは、オーストラリアで近代まで取られていた白人至上主義の政策だ。オーストラリア先住民のアボリジニーへの差別が公然と認められた、この国の最も恥ずべき歴史ーー。  それを移民博物館の一室で学ぶのだ。  政策の開始された経緯、アメリカ公民権運動の煽り、廃止に至るまでの運動とその排斥。  それらをビデオ資料も交えて勉強していく。最後にレポート提出があるのでみんな必死だ。   『当時、白人側はアボリジニーたちは文明的に遅れた部族と決めつけ、アボリジニーの子どもたちを親から引き離していました。多くの子どもたちが親元から離れた場所で育てられましてが、殆ど奴隷の扱いでした。』  英語で流れる授業内容。英会話を日頃から習っていたり英語の成績のいいものですら追いつけないで時々辞書を見てメモを取る。  僕は早々にメモは諦めて、スクリーンに映し出される写真や動画を覚えることに集中した。  写真には彫りの深いアボリジニーの男性が並んで立っていた。こちらを見る目は、どことなく虚ろだ。  man huntingなどとという物騒な単語が何度か繰り返されて、斜め前に座る亮介が眉をしかめて不快感を顕にするのがわかった。  スクリーンには絵が映し出された。白人の男が馬上から銃を構えてアボリジニーを後ろから撃っている。その影で下男らしい男が他のアボリジニーの遺体を引きずっている。  何人かの女子生徒から悲鳴があがった。  こんなもの、高校1年生に見せていいのだろうか。  引きずられるアボリジニーの顔はなんとなくぼかされていてよくわからない。  こんなふうに、人を物のように扱ってーー。残酷すぎる光景だ。  なんでこんなことをするんだろう?  ふと、何かの折に爺様が言っていたことを思い出したーー。 “狩りから畜産へ進化を遂げると、娯楽としての殺しを求める”。  このマンハンティングは、きっとその、娯楽としての殺しだ。 アメリカのネイティブアメリカンにも同じようなことがなされていたのだと、講師の先生が説明する。 「Can you imagine their suffering?」  先生がそう問いかけた文言が耳に入った。その文言にはっとして顔を上げる。今の台詞、どこかで聞いた気がする。どこでだろう。直訳すれば「君に彼らの苦しみが想像できるか?」ずっと昔。その言葉を誰かに言われた。しかも英語でーー。  記憶を頑張って辿ろうにも、手がかりがなさ過ぎる。  僕の知り合いに英語を普段使用する人はいないしーー。何かの映画の台詞だろうか。
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