第九幕

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 自然とため息をついていた。  今の自分は、どうかしている。  頭を振って雑念を振り払い、ホテルに戻った。  わあわあと騒ぐ同級生に適当に相槌を打ちつつモーニングの席に着き、パンを無理やりのどに詰め込んだ。少しでも気を抜くと、頭の中は昨日のあの唸り声と、さっき見た赤黒い滲みのことでいっぱいになってしまう。  昨晩あそこには一体何がいたのだろう?  あの唸り声は何だったんだろう?  その日の朝食の時間、先生から昨日の夜にここら辺で野犬が出たという話があるから暗い時間に部屋を不用意に出ないようにと、アナウンスがあった。  やはり、あれは野犬だったのだ。杞憂だったのだと自分を納得させた。  朝ごはんのスクランブルエッグを牛乳で流し込み、同級生と一緒にバスに乗り込み免税店に向かう。最後の大きな買い物の機会なので皆楽しそうだ。  家族にとカンガルージャーキーやマカデミアナッツを大量に購入する友人とともに、僕もお土産を選ぶ。爺様にはカンガルーのヌイグルミでいいだろうかと悩んでいると、不意に首の後ろがチリチリといたんだ。  反射的に顔を上げると男の人がこっちを見ていた。インドやパキンスタン系の褐色の肌に彫りの深い顔立ちの20歳位の若い男性だ。僕と目が合うと、彼は口角を上げた。  その刹那、身体全体に寒気が走るのを感じた。  なんて不気味な笑顔だろう。笑っているのに笑っていない。全く親しみを感じないーー。鋭い眼光が自分を射抜く。  逃げないとーー。  本能がそう告げているのに体が全く動かない。  男は一歩、こちらに近づいてきた。  少し癖のあるうねった髪が揺れた。僕はゆっくりと瞬きをした。彼が本当にそこにいるのか確かめるように。  でも次に目を開けるとその男性の姿はなかった。  慌てて、視線を巡らせる。店内は僕ら学生と他の観光客とでごった返している。東アジア系の客がほとんどの店内で、あのエキゾチックな外見の彼はきっと目立つだろうに、まったく見当たらない。    きょろきょろとあたりを見回す僕の首の後ろがまたさっきと同じ痛みを感じた。しかし今度は振り返る前に人の気配を感じて、首を動かすことができなくなった。
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