侍女と正室

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煕子の言葉に、光太郎は慎重に言葉を選んだ。 「…君が屋敷の為に頑張ろうとしてくれているのはわかったよ。 でも…いいの? 君は、愛がないと分かっていても、俺に身をゆだねられるの?」 「ーーー構いません」 煕子ははっきりとそう言った。 「そこに…愛がなくても?」 「いいえ。 私は光秀様を愛しております。 故に、そこに愛はあります」 煕子はじっと光太郎を見た。 光太郎は曇りのない瞳に見つめられ、思わず口をついた言葉があった。 「…光太郎」 「え…?」 煕子は戸惑った様子でこちらを見た。 「俺の本当の名前」 「…元服される前の幼名でしょうか?」 「まあ…そういうことでいいかな。 煕子にはそう呼んで欲しくて」 「あっ!」 「何?」 「私のことを…煕子と…」 煕子が初めて名前を呼び捨てにされ、少し距離が縮まったように感じて涙すると、 光太郎は思わず噴き出した。 「ははっ…! 煕子はすぐ泣くんだな」 「みつひ…光太郎様がそうさせたのです」 煕子がむっとした様子で頬を膨らませると、 光太郎は優しくその頭を撫でた。 「そうやって喜怒哀楽を素直に出してくれた方が俺も接しやすいよ。 俺、煕子はもっと仏頂面で、それが良いとでも思ってるのかと邪推してたよ」 「そ、それは…! 元々感情を表に出さぬようにと躾けられて来たからです」 「じゃあ、夫からのお願いをするね。 ーーー俺や屋敷の皆に対しては、 もっと感情を顔や声に出して」 光太郎がそう言うと、煕子は笑顔を見せた。 ーーー俺に対しては、ではなく 俺や皆に、と言われたことに 少し引っかかりはしたがーーー 「…今日、初めて心から笑う光太郎様を見ることができました。 それ故、今はとても幸せな気持ちです」 「今日は幸せな気持ちのまま寝ようか」 そう言うと光太郎は起こしていた身体を再び布団の中へ横たえた。 煕子が、今夜もやはり駄目かと落ち込みながら布団に入ると、 光太郎が横から手を伸ばしてきた。 煕子がよく分からないまま手を伸ばし返すと、 光太郎はその手をぐっと引っ張った。 体温を僅かだが感じられる距離まで引き寄せられ、手を繋いだまま眠りに落ちた光太郎を見て、 煕子は幸せな気持ちを噛み締めながら彼女も眠りにつくのだった。
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