第1章

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 ラーメン屋を出ると、すでに陽は沈んでいた。  勘定を終えて遅れて出てくる彼はサングラスを外す。ラーメンを食べる時ですら外さぬくらいにヤクザの必需品であるサングラスだが、さすがに夜ゆえ相応の視界を得たいのだろう。そうして今さらながらようやく露わになる彼の顔だ。  瞬くたびにそよ風でも吹きそうな長いまつ毛。  鏡のごとく空を映す泉のように綺麗な目。  その泉に一滴の雫が吸い落ちて広がる波状のごとしクッキリとした、ふたえまぶたの線。サングラスが覆い隠していた、パンチパーマと相容れぬ清廉な瞳がそこに現れた。  何という事だ。  目の覚めるような美しい容姿を持ったヤクザとは一体どういう事だというのだ。  天地がひっくり返ったような、鏡の泉に落ちたような衝撃を受ける私。  きっと彼は美少年だったに違いない。  絵に描いたヤクザの様相なのは、そのヤクザに似つかわしくない顔のつくりを誤魔化す為だからというのか。ヤクザではなくモデルや俳優を目指せば良かったものを。  ああそうか、彼の過去を踏まえれば例えスカウトされたとしても無理という事なのか。 「殴った所どうだ? コレ何かあったら……」  彼は、電話番号らしき数字が書かれた紙を差しだしてきた。  阿呆に彼の瞳へ見とれていた私は我に返る。  ヤクザの電話番号を知ってどうするというのだ。仕事ではコネクションが大切といえど、ヤクザと繋がりが出来てもデメリットしかない。そもそも『何かあったら』の“何か”とは何か。消したい奴の依頼とかであろうか。  いや、違う。そうではない  私を殴った事に対する、いわゆる接触事故にあった時に行うそれのような事だろう。  夕食をオゴってもらったが、その上で彼なりのおとしまえだ。  何を勘ぐる必要がある。メリットやデメリットで考えるのはもうやめよう。  私は、彼の誠意を素直に受け取った。 「悪かったな、こんなろくでなしに時間とらせて」  そう呟いて、夜の闇より黒いジャケットの背を彼は向けて去って行く。  それは彼の人生を象徴しているような光景。  日の当たる所を歩けず、暗闇の中でひっそりと生き、そして消えていく。  私は彼を愁うように息をついた。冬の夜に目立つ白い息は、わずかな刹那と共に闇へ溶けてくのであった――
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