第1章

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「お前ぇィ! 何ノンキに歩いてんだぁあああああ!」  このようにいきなり怒鳴られる事もある。歩くぐらいノンキにさせてもらいたい物である。  その人物はすれ違いざま二度見してきたのち稲光のように目を血走らせては落雷に等しい大声を出し、それからどういう訳か彼は左手で私の胸ぐらを掴んでくるのだ。どうやら私へ怒りを向けているようだ。  私は自分の足が地に離れていく中で何も出来ないながらも、とりあえず相手の姿を眺めてみた。  薄茶けたサングラス。  コテで焼きまくったようなチリチリのパンチパーマ。  二匹の蛇みたいな生物がこむら返りでもしているような謎の刺繍が入った真っ黒のジャケット。  今朝問われた虫のようなテカりを放つ革靴。  そして頬には有名スニーカーメーカーのロゴみたいな傷。なるほど、これは絵に描いたまでの、ヤクザという物だ。  見事なまでのヤクザ然とした様相を見て、それこそ呑気に私はこんな人が本当に実在するのだとうっかり感心してしまう。  そんなヤクザは、私の胸ぐら掴んでいない方の右手拳を握り締めては振り上げてくるのだ。西日を受けた逆光による陰りをまとったその拳、もはや鉛球にしか見えない。  ああ……この鉛球は数秒後に私の顔面へ襲ってくる未来が待ち構えてくれている事だろう。  当然だが、知らない者に何の理由もなく殴られたくはない。  まあでも、このヤクザには私を殴る理由があるのだろう。ここは甘んじて受け入れるとしようではないか。  殴られる事に理由など必要ない。  頭を下げる事に理由も必要ない。  そうやって私は今日まで仕事を粛々とこなしてきたのだから。
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