ごく普通の男の話

第1章

　そして、見事ヤクザの右拳が私の左頬へめり込んでいくのだった。
　過去の私が思ったように、殴られる未来に迎えられた今の私。
　言うまでもないが当然痛い。
　どれくらい痛いかといえば、子どもの頃に住んでいたマンションの駐車場で意味も無く自転車を乗り回していた時うっかり転んでしまい、その先にあったタイヤを止めるパーキングブロックへ顔面をぶつけた時の次くらいに痛い。
　そういうわけで私はそのまま殴られた勢いで、私の体は地を舐めるようにアスファルトへ転がっていった。

「さっさと金用意しとけよ！」

　殴られた上に地へ打ちつけた左頬を痛める私に追い打ちを掛けるかの如くヤクザの怒号と唾が浴びせられる。
　ヤクザの言うような、金銭を用意しなければならない理由など私には無い。
　まあ恐らくは私に似た顔の人物が借金でもしているのであろう。
　まったく迷惑な奴がいたものだ。借りた物ぐらい返せ。どうせそいつは幼い頃から借りたまま返さないような無責任の塊に等しい奴なのだろう。見た事も無い人物をそう決めつけるのは勝手なのかもしれないが、現に私は被害にあったのだ、勝手ぐらいはさせてくれ。

「あ……」

　殴られた痛みから連鎖するように幼少期にて又貸しされたまま返ってこなかった出来事の憤りを思い出している私をよそに、ぽつりとヤクザの声。その呟きには今までの剣幕が微塵も感じられない。
　私は体を起して呟きの聞こえた方へ目を向ける。
　彼は阿呆に口を開け、そこから魂でも抜けたかのように一点を見つめている。その視線の先には、殴られた衝撃で私のポケットから飛び出たのだろうか名刺があった。