第1章

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「すまんかった!」  途端、脚を畳み掌を地に付け凄まじい速度で頭を降ろして土下座をしてきたヤクザ。それはもう凍ったバナナでは本当に釘を打ち付ける事が出来るのかと好奇に満ちた者が降りおろすような勢いで頭を下げるのであった。  名刺に記載されてある私の氏名でようやく人違いと気付いたのだろう。  しかしここは西日の差し始めた暮れの道端。仕事を終えて行き交う人々が先程から何事かと集まり始めてこちらを見ているのである。  これでは私がヤクザと何か繋がりのある者だと思われかねないではないか。  最悪、ヤクザに頭を下げさせている私は組織を治める人物に見られる可能性だってあろう。早くやめさせねば。 「あの、大丈夫ですから頭を上げて下さい」 「そうはいかねえ! 償いをさせてくれ!」  こちらがもう良いと言っているというのに、面倒くさい限りだ。  勿論もう上げろと言われて素直に頭を上げないのは当然の事ではあるが、先方には煩わしさもあるらしい。頭を下げる事に理由は必要なくとも、こういう事は自分も気をつけねば。  それにしたって償いとか、大層な事を言ってくれる。絵に描いたヤクザだから仰々しい言葉を発するというのか。 「俺は一体どうしたら良い?」  そしてヤクザが尋ねてくる。  わざわざこちらへ償いを委ねるのなら早々に頭を上げていただきたいものだ。  ただ、このヤクザは恐らく償いとやらの行動へ移らない限り頭を上げはしないのだろう。  とりあえず何をさせるか考えなければ。  しかし殴られた衝撃で脳が揺れでもしたのだろうか、意識がもうろうとしているようで何も思いつかない。  さらに今は冬の季節ゆえか殴られた所が寒さで余計に痛くて何も思いつかない。  だが、さっさとしないと「早く言え」という理由で殴ってくるかもしれない。  未来に控えているかもしれない殴られる自分を今度こそ救うため必死に食いしばって私は考えを巡らせるが、何より噛み合わせが悪くなっていて集中できない。  いっそ反対の右頬も殴ってもらえばズレた噛み合わせが治るのだろうか。  そういう阿呆な事は閃いてしまう。
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