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「麻宮さん、あたし、好きな人がいるんです」
この言葉に、麻宮さんは驚かなかった。目線をあたしから外すことなく、左手の薬指はやっぱり触れられたままで、彼はゆっくりと口を開いた。
「うん、そうだろうね」
「え?」
「そうなんじゃないかな、とは思ってた」
笑う麻宮さんとは反対に、あたしの目は泳ぐ。左手の薬指も、なんだかいたたまれない。
「なんとなく、ってだけだけどね。笑い方は少し嘘っぽいし、何考えてるかわからない顔してるときもあった…もしかしたら、とんでもない悪女かと思ったこともあるよ」
「悪女…」
「それでも、男って面倒くさいよなあ。会ってるうちに、だんだん妄想が膨らんでいく。やっぱり、直感には逆らえない」
「好きになるのは、直感…」
「そう。だから、直感を信じてる。加賀さんも、その相手のこと、直感で好きになったんじゃないの?」
呼び方は、もう、元に戻っていた。
例えばこの人とそういう関係になって、そういう行為をすることになったとき、“由宇”と呼ばれることをあたしは受け入れられるのだろうか。
大きな体に組み敷かれて、求められて、貫かれる度に名前を呼ばれる。それは、藤次郎だけの特権であればいいと思っていた。
けれど。
「わかりません。もう、長い付き合いだし…好きだなんて、思わなかった。遅すぎたんですよ。間に合わなかった」
「…ふうん。もう、諦めるんだ?」
「諦めなければ必ず夢は叶う。なんて、仕事や受験はそうかもしれないけど…人の心は動かせないでしょ?」
「それ、問題は相手の気持ち?」
「…え?」
「加賀さん、今、すごい泣きそうな顔してる」
麻宮さんに指摘されて、表情を確認しようとするけれど、あいにく鏡は化粧ポーチの中。バッグを開こうとするその手を、麻宮さんが掴んだ。
「いいよ、一番じゃなくても」
「麻宮、さん?」
「二番目でもいい」
「…駄目です」
「最初は、同情でもいいんだ」
それでも一緒にいてほしいと、麻宮さんの手に力が込められる。
腕が、心が、痛い。
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