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絶対に食い下がられると思っていたのだ。そして最後には当初の希望通り、自分で詳しくないと認めていながら、これ以上ないほど多機能な携帯を意気揚々と持って帰るのだろうと。
でもその予想は外れてしまった。現実にはそれ以上何を言うでもなく、彼はきわめて従順に納得して考えを改めてしまった。
(悪いヤツじゃねぇんだな……)
半ば諦めていただけに、余計虚を衝かれたような心地になった。
宰は開いたままだった資料の上で、軽く指先を握り込んだ。何だか心が温かくなって、得体の知れない嬉しさに気持ちが慰められる。かえって大人気なかったのは自分の方かもしれない。
「あの……美鳥さんって言うんですか? 綺麗な名前」
と、優駿は唐突に話題を変える。気がつくと、優駿の視線が首から下げたネームプレートに注がれていた。
宰は一瞬間を置き、つられるようにそこに記された名前を見てから、静かに頷いた。
「ええ、美鳥と言います。綺麗かどうかはわかりませんが」
「綺麗ですよ。あ、でも、名前だけじゃなくて美鳥さんも綺麗」
優駿は宰に目を戻し、どこかうっとりしたように呟いた。
「……は?」
手元の資料を閉じる手を止め、宰は瞬いた。呆気にとられ、うっかり素の表情になりかけたのをどうにかこらえ、努めて平然と優駿を見返すが、
「俺、そんな風に色々言って貰ったことってあんまなかったし……」
「はぁ……」
それも長くは続かなかった。
「あの、また来てもいいですよね。携帯――は、すぐには変えませんけど」
(じゃあ何の為に来るんだよ)
宰は胡乱げに瞳を眇めた。なんだか嫌な予感がした。
次の瞬間、優駿ははにかむように笑みを深めると、勢い良く席を立った。
「俺、これからできる限り、美鳥さんに会いに来ます!」
どうやら切り替えの早さは頭の中だけに留まらず、気持ちにまで及んでしまったらしい。
宰の嫌な予感は的中したのだ。
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