ある春の日のこと。*

20/33
前へ
/187ページ
次へ
「……美鳥さん?」  急に黙り込んでしまったからか、窺うように名を呼ばれ、宰は瞬いて焦点を合わせた。軽く頭を振って気を取り直し、どうにか次の言葉を探し出す。 「えっと……じゃあ……」 「はい」 「旅館に着いたとき……、お前、どう言うつもりでああいうことを言った?」  いつのまにか外れていた視線を優駿に戻し、努めて平板な声で言う。 「ああいうこと……ですか?」 「わざわざお前の親戚……優子さんに言ったことだよ」  内容が内容なだけに、しつこく説明するのは気が進まなかったが、まるで何のことか分からないと首を傾げる優駿に、仕方なく言葉を継いた。 「俺のことを……何て言って紹介したか覚えてねぇのか」 「あ、大切な人ですって言ったことですか? ――そっか、説明足りてなかったですよね。もっとちゃんと、お付き合いしてる人だってはっきり……」 「違……っだから、そうじゃねぇだろ!」  気がつくと、宰は声を荒げていた。優駿から返ってきた答えは、驚くほど見当違いな答えだった。  信じられない。何て危なっかしいんだと本気で心配になる。  本当にコイツは、自分の立場が分かっているのだろうか。日本でも有数の資産家の家に育ち、いつかは自分もそれを背負って立つべき存在だと、そのことを本当に理解しているのだろうか。  考えれば考えるほど、背筋が冷えるような心地がする。
/187ページ

最初のコメントを投稿しよう!

528人が本棚に入れています
本棚に追加