2.風波と偽りの凪*

4/11
前へ
/187ページ
次へ
「やぁ。今日はやけに早いね。小泉優駿君」  柏尾は常と同じ食えない笑みを浮かべ、僅かに口端を引き上げる。 「……あ、おはようございます」  それに一瞬、戸惑った風に間を置いて、優駿は自分よりも更に上背のある柏尾を見上げた。柏尾は笑みを深めて目礼を返し、視線を宰へと移す。 「これ、朝礼の時に渡せなかった分」  宰が顔を上げると、柏尾は持っていたクリアファイルを差し出した。中には、数枚のFAX用紙が挟まれている。受け取ったその表紙に目を落とし、宰は頷く。 「ああ、例の不具合の……」 「それで全部じゃないらしいから、後でまた裏覗いてみて。俺も手が空いてればまた持ってくるし」 「わかりました」  ファイルから視線を上げて、再び柏尾の顔を見る。しかし予想に反して柏尾が見ていたのは優駿の方で、つられるように宰もそちらに目を遣った。  優駿が、無言でじっと柏尾の顔を見据えていた。柏尾がその眼差しを真っ向から受け止めている。宰は僅かに眉を潜めた。 (何だよ、この微妙な空気……)  判断しかねていると、柏尾が先に口を開いた。 「まぁ、俺の用はこれだけだから。『美鳥』は君に返すよ」  柏尾は目の前の優駿に向け、飽くまでも笑顔でそう告げた。そして言うだけ言うと、あっさり踵を返してしまう。 (そういえば、さっき『宰』って呼びやがったな、チーフ……)  その背を見送る傍ら、今頃気付いて、宰は一層柏尾を訝しむ。「宰」なんて、プライベート以外では一切許していない呼び方だった。そもそも柏尾の方も弁えて、職場では「美鳥」としか呼んでいなかったはずなのに。 (何考えてんだ、一体……)  加えて、この様子だとその違和感に気付いたのは宰だけではないらしい。鈍いばかりかと思っていた優駿だが、案外そうでもないのだろうか。 (まぁ、どっちにしても……)  何だか面倒なことになりそうだ。  未だ不自然に黙り込んだままの優駿を横目に、宰は憮然と溜息をついた。
/187ページ

最初のコメントを投稿しよう!

527人が本棚に入れています
本棚に追加