ある春の日のこと。*

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「宰さん、ああいうの好きなんですか?」 「え……」  問われて目を戻すと、優駿は床の間の方を指差した。 「あ――…、まぁ、好きか嫌いかで言えば好きかな」  正直価値はよくわからねぇけど、と付け足しながら、宰はおずおずと頷いた。するとさっきまでの様相が嘘みたいに、優駿の空気がふわりと和らいだ。そこに浮かぶ、きわめて嬉しそうな笑顔。不思議に思った宰は、僅かに眉をひそめた。 「俺が今日旅館に来た理由ですけど……。実は、優子さんに頼まれてた花瓶を届けるためだったんです」  そう言った優駿は、はにかむように笑みを深めた。しかし宰にはまだ理解できない。もちろん、理解できないのは話の内容ではなく、優駿の反応の方だ。  そんな宰に、優駿が答えを告げる。 「宰さんが好きなら、今度また、ああいう感じのを作ってみます」 「……え、作……? ――って、あれ、お前が作ったのか?」  思わず目を瞠り、今度は宰が床の間を指差す。 「はい。今回持ってきた花瓶に比べると地味ですけど……、出来上がりとしては自分でも気に入っていたので、宰さんにそう言ってもらえて嬉しいです」  こくんと頷いた優駿は、くすぐったいみたいにそわそわとしながらも居住まいを正した。 「え、じゃあ、もしかして夕食食った部屋に飾られてた掛け軸――水墨画? も……?」 「いえ、あれは俺じゃないです。あれは確か、優子さんのお父さんが描いたものだったと思います」 「そっか……。……あ、いや、どっちにしても、やっぱ住む世界が違う……」  宰は信じがたいように呟き、呆然とした心地で目元を押さえる。堪えきれず深く長い息を吐くと、慌てたように優駿が顔を覗き込んできた。
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