第1章

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僕は、右手に持っているナイフを天高く、左の掌へ向けて振り翳した。 【人間】に血は通っていない。 刺せばわかる。全部わかる。 彼女が何を以てして、僕に生き延びろと約束させたのか。 そこまでして何故、僕を生かしたかったのか。 今、この左手から上がる血飛沫を眺めながら、僕はそれを考えるんだ。考えるんだ。 鈍い音がした。左の掌に激痛が走った。 彼女との約束、生き延びろというむかしの約束、それは、どういう意味? もう一度振りかぶり、また鈍い音がする。今度はあまり痛くはなかった。 彼女との約束、考えろ。答えはすぐに出てくる筈だ。生き延びろ? もう一度。痛い。痛くて、もう突き刺せない。 鋼が剥き出しになった僕の左手からは、血が流れることはなかった。 変わりに垂れ流しているのは、ドロリとした鈍色の液体だった。 思い出の中の彼女は、何故僕に、生き延びて欲しいと言ったのか。 その答えをいくら考えたところで、僕の頭では理解することは不可能なのか。 痛い。 ナイフを突き刺した傷口を、右手の指先で触れた。 痛いか?これが痛みか? 傷口からどくどくと液体が流れ落ち、左腕全体が搾られたように干からびていく感覚。 徐々に動きが鈍くなっていき、指を動かすと、奇妙で無機質な音が鳴る。 なんだ、これ。 左腕全体が何かに圧迫されたような感覚になり、肘を曲げると、錆びた鉄格子を開くような音がする。 これは何だ? 「あなたは左利きですか」 唐突に、“有思考者”の男性の声が、頭に響き渡った。 僕は左利きだったか。常に右手を使っている。無意識のうちに左手を使っていることはなかったか。わからない。
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