人間について

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・芸術、美術に答えはない  近年多くの人がネットを利用して自らの作品を公開している。いや、公開できるようになった、というべきだろう。  音楽、イラスト、動画、小説、漫画。数々の作品の中には名作、神曲といった掘り出し物も紛れている、いわば芸術戦国時代なのである。  さらに、作品が数多く輩出される、ということは無論評価する人、鑑賞する人も多く現れるということである。  しかし、鑑賞する人たちの中から批評家気取りの偉そうな人も現れてきた。  「下手なのにアップすんな」「デッサンくるってる」「どこが面白いの?」「テンプレな展開乙www」「顔がみんな一緒なんだよ」「音感なさすぎワロタ」  この発言にとある批評家気取りにある人がこう言った。   「お前そんなに馬鹿にするんならお前がやってみろよ。できないくせに偉そうなこと言うんじゃねぇよ」  すると批評家気取りはこう返した。  「は?wなんで評論家が芸術家と同じことができるって思ってんの?w料理評論家が料理上手くなきゃダメなの?www」   まったくもって正論である。評論家とは作品を評価する者のことであり、決して作る側の人間ではないのである。  芸術家を志す者も、作品を評価する人がいなければ作品の価値は見いだされない、ということを念頭に置いて作品を公開すべきである。作品を公開する。ということはそういうことである。  しかし、芸術家を目指そうとしている私からも言わせてもらいたい。批評家気取りの人たちの言うことは正論であり、事実である。また、その評価気取りの人たちのお気に召さなかった、ということも事実である。しかし、評価をするからにはその発言に対してそれ相応の責任を持ってもらいたい。  批評家気取りな発言は数多くの芸術家の卵を挫折させ、数多くの新たな可能性を潰してきた。  最初は誰だって下手だ。下手なのは当たり前であり、最初から上手い人なんてそうはいない。  それをさも自慢げに罵倒していくというのなら、そんな無責任な評論家はいない方がいい。  また、芸術家の方も多くの人の共感を得たいがために作品を作っている、というのなら点でお門違いである。  自身の表現したいものを形にする。それが芸術である。ゆえに、芸術に答えなんて存在しない。自身のありのままに共感してくれる人が現れればそれで充分。  私はそう思う。
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