プロローグ

3/3
前へ
/559ページ
次へ
「おはようございます!」  声を大きくして再度挨拶してみると、古株の社員、飯塚が振り返った。 「ああ、椿、おはよ」 「どうしたんですか? 何かありました?」  自分のデスクに鞄を置いて、椿も社長のデスクを取り囲む輪に加わった。 「荒木さんが辞めたってさ」 「ええ!? マジっすか!?」 「もうAVはたくさんだー! とか言って」  飯塚は今日辞職してしまったという社員、荒木の真似をしながら陽気に言うが、それを笑う人はいない。椿も笑えなかった。これで正社員五人、アルバイトが二人になってしまったのだから。  一人座っているこの事務所の社長、葉山はしばらく考え込むように腕を組んで黙っていたが、やがて顔を上げ、椿にまっすぐ視線を向けた。 「まあ、しょうがないね。荒木君が担当してた子は一人だったし……椿君、今手が空いてたよね?」 「え、あ、はい」  椿が担当していたアイドル志望の女の子は、先月辞めてしまっていた。だから椿は今、誰も担当していない。 「椿由人君」 「はい」  返事はしたものの、椿は嫌な予感しかしなかった。 「君は今日から志岐天音のマネージャーです」  このときの社長の一言と少しの偶然が、椿と志岐を繋いだ。  柔らかい風、そして暖かな差し込む光は、繋がれた縁への、祝福のようだった。  椿がそんなふうに思い出すようになるのは、まだ先のことだったが。  このときの椿は降り掛かった最難に、項垂れるしかなかった。
/559ページ

最初のコメントを投稿しよう!

400人が本棚に入れています
本棚に追加