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「おはようございます!」
声を大きくして再度挨拶してみると、古株の社員、飯塚が振り返った。
「ああ、椿、おはよ」
「どうしたんですか? 何かありました?」
自分のデスクに鞄を置いて、椿も社長のデスクを取り囲む輪に加わった。
「荒木さんが辞めたってさ」
「ええ!? マジっすか!?」
「もうAVはたくさんだー! とか言って」
飯塚は今日辞職してしまったという社員、荒木の真似をしながら陽気に言うが、それを笑う人はいない。椿も笑えなかった。これで正社員五人、アルバイトが二人になってしまったのだから。
一人座っているこの事務所の社長、葉山はしばらく考え込むように腕を組んで黙っていたが、やがて顔を上げ、椿にまっすぐ視線を向けた。
「まあ、しょうがないね。荒木君が担当してた子は一人だったし……椿君、今手が空いてたよね?」
「え、あ、はい」
椿が担当していたアイドル志望の女の子は、先月辞めてしまっていた。だから椿は今、誰も担当していない。
「椿由人君」
「はい」
返事はしたものの、椿は嫌な予感しかしなかった。
「君は今日から志岐天音のマネージャーです」
このときの社長の一言と少しの偶然が、椿と志岐を繋いだ。
柔らかい風、そして暖かな差し込む光は、繋がれた縁への、祝福のようだった。
椿がそんなふうに思い出すようになるのは、まだ先のことだったが。
このときの椿は降り掛かった最難に、項垂れるしかなかった。
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