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「たぁー!」
バシッツ
「とぉー!」
バシッツ
「まだ、まだぁ!!」
両手を広げて、向かって来いと合図する泉さんに、私はため息をついた。
「泉さん……、そろそろ休憩にしましょうか……」
***
泉春香(いずみはるか)さん。
私の恋人で、職業は警察官。
『警察官だから、武道は不可欠なんです』
そう言って、私がバイトしている道場でこうして時々空手組手の練習をしている。
もちろん、それは大事な鍛錬の一環だし、そのトレーニングに協力できることは嬉しい。
けれど、きっとトレーニングという名のもとに、私と会う時間を捻出してくれているのだと思う。そのくらい、泉さんは忙しく、そしてハードな毎日を送っている。
そもそも警察官の泉さんと大学生の私とでは、立場が違いすぎる。
甘えすぎて負担をかけるようなことだけは、してはいけないと思う。
そう思っていたあの日、事件は起きた。
1ヶ月前、泉さんは私を庇って、私の目の前で刺された。
東京有明マラソンの最中に起こった麻薬事件でのことだった。
一瞬の出来事だった。
一瞬の出来事で、泉さんを失くしてしまうところだった。
幸い刺され場所が急所から外れていたことと、泉さん自身の強靭な肉体のおかげで、奇跡的に重症には至らず、周りが驚くほどの軽傷だった。
とはいえ、刺された傷跡はまだはっきりと残っているし、抜糸だってこの間やっと済んだばかりだ。
「泉さん、今日はこの辺で……」
私が再度そう提案すると
「光さん、疲れましたか? すみません。勝手に張り切っちゃって……」
逆に私の体を心配する。
「そうですね。すみません……、少し疲れてしまいました……」
私はぺこりと頭を下げた。
この人は、私が疲れたと言えば絶対に無理はしない。
こう言えば、泉さんも休んでくれる。
そう思っていたのに
「それは、すみませんでした! では……」
にやりと笑って、私を抱きかかえようとした。
「うわっぁ!!」
私は慌ててその場から飛び上がって、すり抜けた。
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