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もっとも夫と一緒だったら、また話は違うのだが、あのときわたしは独りきりだ。
それで見つけてしまったのかもしれない。
一休庵ではなかったが、その先の蕎麦屋の客席に母がいる。最初は人違いかと思ったが、どうやら間違いなさそうだ。
もちろん休日の深大寺通りの蕎麦屋に母がいて何の不思議があろうはずもない。
実際、小田急線経堂駅から程近い、母が住むわたしの実家に小用があって訪ねたときに聞いたことさえある。
数年前からのことだったが、母は近所の小母さんたち数名と連れ立ってしばしばプチ観光を楽しむようになっている。プチといっても日帰りで河口湖畔まで温泉に浸かりに行ったこともあるようなのだが、やはりご近所巡りが多いようだ。こちらに関心がないせいで詳細は忘れてしまったが、護国寺やスカイツリーなどにも向かったらしい。その中の一つに深大寺(|蕎麦)もあったので、母が再訪しても何ら不思議はなかったわけだ。
けれども母の連れに見覚えがない。
見覚えがない上に男の人だ。
年齢は母と同じか、それよりは上か。
わたしがもうじき三十二歳で母が五十四歳だったから、上限でも五十六から七歳までくらいだろうか。
六十歳過ぎにはまるで見えない。
端麗な顔付きをしているが、内に秘めた凄みのようなものがわたしの立つ十メートル弱の位置からでも感じられる。それが余計にわたしに自分の目を疑わせる。
母は父に請われて結婚している。
母方の祖父母から漏れ聞いた話では、父が母を見初めたとき、母には婚約者がいたらしい。が、本人からその話を聞いたことは一度もない。
現実には父と結婚して二人の子を成したのだから、父のことを嫌いではなかったのだろう。
母は昔風だが丸顔の美人で、若い頃には着物が普段着で良く似合っている。父方の祖母、つまりわたしのおばあちゃんが、元役所務めのわりにズボラな性格の人で、母を自分の玩具のように連れ歩くときに着せて初めて定着したらしい。
母は茶の湯も習っている。それも祖母の特命だったようだ。習い事は他にも色々あったらしいが詳細は忘れたようだ。
そんな一風変わった姑がいたからでもなかろうが、母が浮気をしたという話をわたしは一度も耳にしたことがない。
もちろん子供の耳にそんなことを漏らす年長の家族はいないだろうが、それでも噂は広まるものだ。
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