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愛想は良かったし、申請書に記入した金銭に関わる数値以外は大して気にかける様子もなく、だから当然のようにこちらの弱点を突くような鋭い質問も皆無で、その意味では拍子抜けしたというか、安全パイだったというか。そんな先入観があったので、分野違いとはいえ、やがて自分の夫となる一人の役人との会話が思ったよりもスリリングに弾み、わたしにはとても楽しかった記憶がある。その場に同席したもう一人の、おそらく年上の役人の印象が、わたしの記憶にまったく残っていないのだから夫のことばかり見つめていたに違いない。そんなわたしと同じ印象は夫の方も持ったようで、後の健全なデートの際に訊いてみると、
「ええ、ぼくの方も楽しかったですよ」
と言って、わたしに微笑む。
「あのときの宮野さんのご説明が、いかにもこれはすごいアイデアなんですよ、とても大変なことなんですよ、っていう感じでしたから、ほおっ、そんなふうに入れ込めるものなのか、と思いまして」
「偉そうでしたか」
「自信に充ち溢れていましたね」
「予備実験で感触を掴んでいたので、まったく上手く行かないとは思っていませんでした。ですが、あの年は予算の成立が遅れましたから。だから実質の研究時間が短く削られてしまって……」
前年度の終わりに今年度の予算が決まろうと、今年度に入るまで予算成立が遅れようと|(一年間の助成金ならば)今年度末が期限となる。
「しかし成果が出たのに惜しかったですね」
「結局関連して二本の特許を書いて、一本はまずダメだろうということで、残り一本の方の査定には漕ぎ着けましたが、会社の方針で機器の商品化を止めるというのですから仕方がありません」
わたしがあのとき補助金を貰って開発したのは臨床検査用のグルコースセンサ用応答膜だったが、当然のようにその膜だけでは商品にならない|(応答膜の権利自体を売るまたはライセンス化する場合は別)。測定を自動化するためにはその膜を組み込んだ測定機器が必要で、機械設計はわたしの担当ではなかったが、機器の開発自体はとりあえず期限内に終了する。が、完成した機器が先行他社の同様製品に比べて大きく差別化されていないと上層部に判断され、商品自体がお蔵入りとなる。
「悔しかったですか」
「さて、どうなんでしょう。でも結果的に市場に数台しか出まわらなかった機器の不具合に時間を取られるよりはマシだったかもしれません」
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