序章

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その事を話せば、僕の父……すなわち息子の事に触れてしまうからなのかも知れない。 記憶すら曖昧な幼少期、僕も横浜の街で生まれて父と母と暮らしたらしい。 僕の母は、偶然ではあるけれど甲府の出身で祖父が横浜の街を引き払った時、一緒に甲府へと戻って来た。 僕を抱えて、経済的な理由も当然在ったのだろう。 僕の記憶には、父親の存在は無い。 失踪したその父親が、祖父を生まれ故郷に引き戻した原因なのかも知れないが、誰も教えてくれないのだから、僕も聞かない事にした。 聞かなかった理由は、それだけではない。 祖父の家の裏手に在るアパートで暮らしていた母が再婚したのは中学の頃で、新しい父は優しかった。 祖父の家に比べる術もないけれど、母と僕の為に小さな一戸建てを用意してくれた。 僕は、案外苦も無く彼を受け容れて父親だと認めた。 それで構わないと思えたのは、母が幸せそうだったからだ。 「横浜の大学に行こうと思う……」 僕がそう告げた時、母の表情が曇った事は言うまでもない。 顔を顰めて視線を外した表情は忘れられない。 けれど、彼女が反対しなかったのは直前に亡くなった祖父の事も影していただろうし、僕は一度決めたら頑固だと分かっているからだろう。
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