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ーーボクだって、昔は楽しかったんだ。魚になれるような気がして、ほんとうにたのしくて仕方がなかったんだ。
『ボク、水泳以外は何にも出来ないんだ』
自分がリクに言った言葉だ。目がかっと熱くなる。
「そんなこと……」
歯をきりりと鳴らして小さくつぶやく。言葉を飲み込んで、それからうなだれるように下を見た。足の指をきゅっと閉じて、それからゆっくり開く。白い指の間を、透明な水が我先にと通り過ぎて行った。
シャワールームの裏に設置してあるロッカーにもたれてベンチに座っていたニーナは、ソラのかすかな声を聞いてそっとひざを抱えた。励ましたいという気持ちはあるが、自分の口から「そんなことないよ」とは言えなかった。手のひらを上に向けて人差し指をくるくる回すと、手のひらから水があふれてくる。小さな噴水のように緩やかに盛り上がった水は、ニーナの白い腕を伝って肘からコンクリートに滴り落ちる。ソラを縛っている水は、一切の音を立てずにベンチの足元を走っていった。
きゅっという蛇口を閉める音でニーナはハッとしてそのまま薄くなり空気に溶ける。遠くで響くレッスンを続けている声が賑やかで、暗くて静かな更衣室は別世界のようだった。
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