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「もう、さ。おまえの面倒は俺がみてやるから」
あちこち回って市役所を出た頃には日が沈んで暗くなりかけていた。
隣を歩くお兄ちゃんの顔を見上げたけど、よく見えなくて表情がわからない。
「大丈夫だよ。私、これでも社会人二年目だよ? お給料は少ないけど、一人で生活していくには足りるから」
高卒で働こうとしていた私に、手に職をつけてから社会に出ろとアドバイスしてくれたのは東条のおばさんだ。
おかげで、美容師として充実した毎日を送っている。
「そうじゃなくて」
お兄ちゃんの声に苛立ちの気配を感じて、なんとなく身構えてしまう。
昔からそうだ。
私は頭が悪いから、お兄ちゃんをイラつかせてしまう。
それでも、自分の何が悪かったのかわからないんだから、謝りようがないんだ。
はあっとお兄ちゃんがため息をついた。
呆れているのかもしれない。
「さっき、葬式に来ていた奴、誰?」
急に話を変えられて、頭がついていかない。
お葬式にはたくさんの人が来てくれたけど、ほとんど団地の人だったからお兄ちゃんも知っているはずだ。
「ああ、もしかして店長のこと?」
ふと思い出したのは、私が働いている美容院の店長が弔問に来てくれていたこと。
先輩たちの連名の香典も持ってきてくれた。
「店長? あんな若くて?」
「若く見えるけど三十二歳だって」
「前におまえの店に行ったときは、スタッフ全員女だったよな?」
「そうだった? 店長ともう一人男の先輩がいるよ」
そう言えば、私が就職して慣れた頃にお兄ちゃんがうちの店に来てカットして行ったことがある。
それまでずっと団地の中の床屋さんに通っていたくせに突然やってきたから、緊張してシャンプーする手が震えてしまったっけ。
「ふーん」
面白くないような声なのは、私を心配しているからだ。
それが私には苦しい。
おばあちゃんに恩があるから。
妹みたいな存在だから。
そんなことでお兄ちゃんを縛り付けたくはなかった。
「お兄ちゃん。もう私を妹扱いしないでいいよ。もう私も立派な大人なんだから大丈夫」
東条のおばさんに聞いてしまったから。
お兄ちゃんには結婚したい人がいるって。
プロポーズできないのは、私のことが心配だからだって。
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