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初めて会った相手と、仕事の話はまず無難な話題だろう。
「自分は会社の歯車になって出世を目指すよりも、家族との時間を大切にしたいと思っているんですよ」
「私もわりとその考えに近いかな」
とあさ美。
「だって社員の代わりはいくらでもいるけど、家族には代わりがいないですからね。だからずっと、自分の時間が持てる平社員のままでもいいと」
「すごく割り切ってるんですね」
「はっきりしているとはよく言われますね。ただ、収入を得る方法は他にいくらでもあるでしょう。たとえばあさ美さん、投機と運用についてどう思います?」
は? 投機でございますか。ああ、ねぇ。
その後彼は熱心にデイトレードの話などをしていたが、この景気不安定な時代に、仕事をなおざりにして投機に打ち込む感覚はいかがなものだろう。
あさ美は作り笑顔のまま上の空でフリーズした。
喧騒が漂う夕刻の街で待ち合わせた男は会社帰りで、ノーネクタイのスーツ姿だった。
ただそのスーツというのが最近あまり見かけない半袖、いわゆる省エネルックだった。
季節は夏になっていた。
ブスにもかわいげのないブスと愛嬌のあるブスがいるのは男性も同じことで、彼は愛嬌のあるほうだ、とあさ美は思った。
若い頃と違って、見た目のカッコよさにはあまりこだわらない自分にあさ美は気づいている。
そのことは自分が大人になったなあ、と感じることのできる要素のひとつでもあった。
「実は僕、今月いっぱいで退会するんですよ」
「じゃあ、最後に会っていただいているわけですね」
活動自体をやめようというのか、実は相手がもう決まったということなのか、あさ美ははかりかねていた。
「今までいろいろな女性に出会えてそれなりに楽しかったけど、どこか違うなーっていつも思っていて……。たぶん僕には結婚自体が向いていないんですよ」
意外な話のなりゆきに、彼がバツイチであったことを思い出す。
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