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空知は冬の海が好きだった。海といったら大抵の人が真夏の太陽の光を反射して水面が輝く景色を想像するのだろうが、空知は真冬のしんと静まり返った海を好んだ。
だからだろうか。空知が、あのきりりと冷たい海水に溶けていってしまったのは―。
僕が空知と出会ったのは中学2年の夏だった。僕の地元は石狩川の河口付近で、北海道と言えど夏場はちゃんと海水浴場が開いていて北海道の短い夏を謳歌する道民でそれなりに賑わっていた。僕は海が好きだったが、夏と言っても風が吹けば寒いこの地では海水浴などする気にならなかった。それに僕はどちらかと言えば人混みが苦手だ。だから僕は、遊泳区域から離れたひっそりとした岩礁に一人散歩に行き、そこで風と波の歌を聴きながらうとうとと昼下がりの2時間余りを過ごしていた。
空知と出会ったあの日も、僕はそうしていた。
「夏の海は賑やかだね」
自然の音しか聞こえない静寂の中に突如として響いた空知の声は確かに僕を驚かせた。しかしそれは波音に溶けてしまいそうな声だったものだから、僕は声がしたことよりも声の主がいつの間にか僕の前に立っていたことに驚いたのだ。
「賑やかだ」
僕がびっくりして何も言わずにいると、空知は繰り返した。それで僕はようやく人がいることを認識した。
「そりゃ、人多いし」
「違うよ、浜辺じゃなくて海がにぎやかだ」
こいつは何を言っているのかとわけがわからない僕にふわりと笑顔を向けると空知は続けた。
「夏の海はにぎやかだけど、冬の海はしんとして、空気がきりっとしていて。僕は冬の方が好きだ」
「あ、なんかそれならわかるかも。・・・凛としてる、っていうのかな」
僕がなんとなく返すと、空知はちょっと目を開いたあと思い切り嬉しそうな顔をした。
「そう、凛としてる。この海にぴったりだね」
変な奴だ、と思った。けれど同時に僕は、どこか共鳴できるところも感じていた。
今思えば空知という人間は、冬の石狩の海そのものだったのだ。凛として、どこかはかなかった。波間に消えてしまいそうな。
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