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「そ、それじゃあ!」
一方的に言い置いて、私はその場から走って逃げようとした。彼からの返事がどちらにせよ、これ以上ここにいたら感情がパンクしてしまいそうだ。
だが、そんな私を引き留める力があった。
「待って」
いつの間にか、彼が私の腕をつかんで後ろに立っていた。色々な感情があふれてきて、私は恐る恐る伏し目で振り返る。
「バス、行っちゃったから」
彼はそう言って、ちょいちょいと自分の後ろを指す。
「家まで送りたいな。少し、君と話がしたい」
「ぇ、……えっ、えっ」
私がしどろもどろしていると、彼は私の手を取ってくる。かじかんだ手に彼の温かさが伝わってきて、ドキッとするあまり声をあげそうになった。
「僕も、君のことが好きだよ。テンパってるところとか可愛いしね」
彼は少しいたずっらぽい笑みを浮かべて言う。そこでようやく、彼がバスに乗るふりをしたのだと気づいた。
「からかわないでよ……!」
「ごめんごめん。照れてる君も可愛いよ」
「も、もうっ、バカっ」
嬉しいやら恥ずかしいやらで、私は空いている手で彼の胸をポカポカと叩く。
「あはは、痛い痛い」
「バカ、バカっ」
ひとしきり彼を詰ると、ふっと全身から力が抜ける。昨日から張りつめていた神経が緩んだのと、今日色々なことが起きたせいで脳がプスンプスンとくすぶりを上げていた。
「……好きなんだぞ、バカ……」
彼の胸に顔をうずめて、聞こえるか聞こえないかくらいの声で囁く。そっと私の背中に回された手が、優しく髪を撫でてくれる。
これが、中学生最後のバレンタインの出来事。思い出すにはささやかな代償を払わないといけない、私の大事な思い出だ。
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