夜目遠目、傘の内

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満員の電車に、同僚とともに放り込まれて、自由を奪われて行く。 目的の駅で、電車から吐き出されると、同僚は溜息をつく。 「はあ、毎朝まいっちゃうよなあ。人間の扱いじゃないぜ。いっそのこと、地方の田舎の支社に左遷させられてもいいかな、って気分になるよな。」 「まあな、仕事の前から精神が削られる。」 会社の歯車に組み込まれた俺たちには選択肢はない。 人生のほとんどをこの無益な時間と共に過ごし、安らぎを得るために家族を作り、そしてますます歯車から抜けられなくなる。ようやく家族と有益な時間を過ごすことができるような年になった時には、自分の居場所がそこに無いというのはよくある話だ。 若いのに、そんな絶望的な話をするなよと同僚が笑う。 実際にうちがそうだから仕方ない。 俺がなかなか実家に寄り付かない理由も、そんな冷え込んだ関係の家に戻りたくないからだ。 現実逃避。 しかし、俺には目をそらす勇気はない。 恋愛に関しても、さほど興味がなく、来るもの拒まずできているから、当然女には愛想を尽かされるわけだ。 女は鋭い。自分が愛されていないことに敏感だ。 だから、執拗に愛しているかを問う。 口だけの愛しているは、通用しないのだ。 恋愛は面倒くさい。だから俺は、ここ数年、彼女は作らずに一人で居ることの気楽さを楽しんでいたのだ。 その俺が、一目惚れをした。 どうしても、彼女と話がしたい。 俺のほうを振り向いて欲しい。 そして、ある日の夕暮れ。 珍しく、会社を定時で終わることができた。 取引先から直帰して良いとの会社からのはからいで、俺は普段乗らない時間の電車で帰宅することになったのだ。 あの女は、相変わらず、赤い傘に赤い服、赤い靴で佇んでいた。雨も降らないのに、傘をさし、人混みに紛れていたのだ。俺は必死で彼女を追いかけた。 俺が声をかけると、女は驚いたように振り向いた。 「雨も降らないのに、どうして傘をさしているのですか?」 「私、肌が弱いんです。少しでも日に当たると、肌が水ぶくれになってしまうから。」 そういう皮膚の病気を聞いたことがある。 そして、俺は、彼女が幻ではなく、実態を持った女性だということに喜びを隠せなかった。
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